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| 2003年09月22日(月) |
淡くて、かすかで、しぶとい疲労感。 ●光ってみえるもの、あれは(川上弘美) |
●昨夜11時から、断続的に眠り続ける。目覚めては、開きっぱなしのコンピュータに何かしら打ちつけ、それでもまだ希望は捨てきれない物語へ没入しようとし、また眠る。朝と呼ばれる時間に目覚めたとき、まったく仕事への意欲が失せており、打ち合わせを欠席すると電話で伝える。まず、今までになかったことだ。でも、体のだるさと、精神の脆弱さの加減は、このところ経験したことがなかったもので、ここで半端に仕事に出向き、いつもの元気さを簡単に取り戻すのが、逆に怖かった。そして、また眠る。 そのようにして眠り続けて、目覚めたら17時だった。永い眠りの中で、わたしは執拗に一本の夢を見ていた。ある、創作オペラの現場にいる夢だった。「ラインの黄金」のように水辺から始まり、主人公の壮大な冒険を綴る荒唐無稽な筋だった。わたしは舞台上で指示したり、客席から眺めていたり、ひたすらに働いていた。本水を使った演出に、うきうきしているようでもあった。
●目覚めてから、駄目な自分にどっぷり浸かって、戻る道を探そうとする。 先ずは、休日にやるべき、日常的なことども。 もちろん、そのために腰をあげるまでに、数時間を要したけれど。それでも、まあ。 洗濯をして、掃除をして、洗い物をして。で、断続的な眠りの中で読み始めた川上弘美を読了する。昨日のうちに読了した重松清は、今のわたしのこ心に露ほども響かなかったが、川上弘美は、おそるおそる、わたしの中に入ってきたのだった。
物語というものは、ありえるかもしれない、ありえたかもしれない架空の人生の写し絵だ。それを伝えることばで、物語が生まれる。 人が生きるときに生まれることば。人の時間を説明するために必要なことば。 どんなことばを抜き書きしてくるかによって、物語は決まる。
川上弘美の新作を読みながら、描いている登場人物やら設定やらは、いつか何処かで読んだものだと思いながら読んでいる。でも、彼女がこの作品のために連れてくることばは、すべてわたしに響いてくる。
ことばに、救われる、なんて、思ってはいない。でも、ほっとするには充分だ。少なくとも、わたしは、「淡くて、かすかで、しぶとい疲労感」について語る彼女のことばに、自分の疲労感と向き合う気楽さを得たように思う。
●この虚脱感、この疲労感の大元とも言える恋人と、夜中、食事。 それが、今日はじめての外出。 突然冷えた東京の夜風に吹かれながら、なんだかんだ言って、たぶん明日も生きている自分を感じる。 彼は今、食事と軽い酒のあと、我が家に寄り、明日必要な書類の印刷をしている。自分のプリンターが故障しているのだ。 わたしはその背中を見ながら書いている。
何が幸せなのか分からない。何が生きている価値なのか分からない。 これだけ、前向きに生きてきた自分が、そんなことを感じていること自体不思議に思う。これだけたくさんのことを乗り越えてきた強いはずの自分が、大した起因もなしに、そんなことを感じていることが、とにかく不思議だ。 それほどまでに、この人を愛しているのかと、背中を見ながら思う。
●明日は、仕事場に出向く心の状態に、とりあえず戻った。 淡くて、かすかで、しぶとい疲労感に取り憑かれた自分に、すこうし油をさしてやって、いつもの元気印のわたしに戻っていくんだろう。
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