軍艦島の午前を予約していたが、波が高くてダメ。 見たら、11時40分発高島行きがある。 高島は、軍艦島の本拠地? ていうか、明治よりの炭鉱の元祖である。 確か昭和の終わりまで(帰宅後調査、昭和61年まで)操業していたはず。 軍艦島は既視感がある。 もちろん行けばいったで行ったリアルがあるだろうが、よし高島に行こう! と決めて、窓口で聞いたら、島に四〇〇人ほどの方がお住まいなのでこの便は生活便です。 なるほど。 予定を変えて、市電でグラバー邸方面へ。 午前に大浦天主堂とグラバー公園。 大浦天主堂とグラバー園は隣り合っているのだね。 要するに和親条約後の「岡出島」だわ。 しかし絶景の地。 長崎湾が一望できる。 グラバーを初めてして幕末から明治、まさに長崎はこの高台から「管理されていた」印象。
時間にもどって高島へ。 30分ほどで着。 簡単な歴史・・コピペです 長崎へ寄港する外国の蒸気船の燃料として石炭需要が高まったことを受け、長崎沖の洋上の高島において、貿易商トーマス・ブレーク・グラバー(グラバー商会)が佐賀藩との合弁によって本格的な海洋炭鉱開発に着手。 日本ではじめて蒸気機関による洋式竪坑「高島炭坑(北渓井坑)」を建設した。 てなわけで、その渓井坑の遺跡?へ。 わざわざ見に来る人は珍しいのか、巡回バスの運転手は何度も聞くが・・ハイ。 ホントに、しかし、遺跡だ。 当地の明治初年の油田開発の遺跡の方がまだまし?という感じ。 しかし、この小さな島のここから日本の石炭掘りが本格的に始まったのだね。 歩いて15分ほどのところにグラバー別邸跡がある。 この高島炭鉱はグラバーから後藤象二郎、誤答もうまく運営できなくて岩崎弥太郎(三菱)に渡った。 経営を軌道に乗せたのは岩崎である。昭和まで、この別邸は三菱所有で残っていたらしいが、取り壊されていまはない。その資料もあまりないらしい。 今は陸続きだが、グラバー時代は高島に付属する小島で、グラバーは密談場所としても使用したとか。 そんな感じの場ではある。 今は松が風になり、ただただ海の青さが印象的な場。 そこから、急坂上り、島半周コースへ入る。 人気はほとんど無い。 一人だけ、高齢の男性が散歩しておられたけど。 しかし、かつて使用されたアパート(炭坑夫さんの住宅)や建物、銭湯などがあちこちに残っている。 高島は、端島(軍艦島)とちがい自然島である。 だからこそ、こうやってまだ人も住み猫もいるが・・・はっきりって静かに朽ちている・・・「軍艦島化」している印象だ。 港の方へ歩いて行く途中に「いやしの湯」なるお風呂があった。 のぞいたら100円では入れるというので、もう100円でタオルも買い、入ることにした。 中には、75歳から80歳くらい(多分)の女性。 島の最盛期の頃、食堂をしておられたとか。 朝4時から上がってきた炭坑夫の人の食事を提供していた、こういうお風呂は島に何カ所もあって、ここが休みなら別のところに行けば入れたけど今はここしかないとか。 この地方の方言で聞き取れないこともあったけど、要するに今私が入っているお風呂はかつて炭坑から上がってきた人のためにやっていたようだ。 やがて、どうねんぱいか、もうすこしわかいひとがきてなかまうちでおはなしがはじまったのでわたしは出てきたが、何か「いいべんきょー」しました。
島から帰って、中華街へ。 ちゃんぽんを食べに。 もちろんその前に店の名物という春巻き肴にビール。 空気が乾燥しているのでビールうまし。
長崎2日目終了。
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