おひさまの日記
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| 2010年08月02日(月) |
もういい加減がっつり本当の自分でいたいよなぁ |
私は非公開で検索にも引っかからないブログをひとつ持っている。 そのタイトルも「かわいいゴミ箱」。
そのブログは、その名の通り私の「ゴミ箱」。 吐き出したいことを何も考えずに書いている。 主に、落ちた時用ブログ(笑) 自分以外誰も読まないので、もう書きたい放題よ(爆)
人に見られないとなると制限が外れるので、 いやー、ありのままの気持ちを書きなぐる、 後から見ると、読めないくらいひどい(爆) どこのネガティブ大魔王なんだと思うような内容ばかり。 元気な時に読んでみると、なんでこんなに苦しんでんだ? と不思議に思うほど。
でも、そこで吐き出すことによって、自分の中が整理できたり、 書いているうちに落ち着いてきたりと、 実はそのゴミ箱、結構いい仕事してくれる(笑)
これまで書きなぐってきた内容をトータルで見てみると、 自分が苦しくなっている時に書く内容に共通する言葉がある。
「私はダメだ、最低だ、何の役にも立たない」
「私は誰? 私は何のために生きてるの?」
「私なんていない方がいいんだ。 私がいない方がみんな幸せなんだ」
「消えたい」
と、まあ、そんな感じかね。 やけに客観的にこうして書いているのは、 普段はそんなふうには全然思っていないからだ。 だからまるで他人事のように見える。
その思いがふつふつと湧いてくるのは落ちている時だけ。 いや、何かがきっかけでその思いが湧いてくるから落ちるのか、 とにかくスイッチが入っちゃうと、そうした想いの場所に入るらしい。
かわいいゴミ箱のおかげで、 自分の奥の方にこびりついている想いに気づくことができる。
あと、ゴミ箱の言葉を読んでいて感じるのは、 自分を見失ってる時もやはり落ちているということ。 よく使われる言葉で言えば「自分を生きていない時」。
好きなこと、やりたいことをしていない時、 好きなこと、やりたいことがわからない時、 ワクワクを喪失してる時だね。
他に、家族に優しくできない時とか。
そうやって自分が落ちる時ってのを観察してみると、 色々な原因はあるんだけど、 結局は複合的に色々絡み合いつつつながってたりして、 自分を評価できない、許せない、愛せない、ってのが根っこらしい。
自分を責めてるんだよね、ずくずくずく、と、執拗なまでに。 そういう時は周りの人、主に家族に当たり散らすし、 特にアンナには迷惑かけてます、母さんってば… (´・ω・`) 心理的距離が近い家族には、そうしたものが出やすい。
日常の中の何かがスイッチになって、 自分のダメさが身にしみたりすると、やたら周りの誰かにイライラする。 それは、周りの誰かにダメだとジャッジしている自分を見てしまうから。
イライラしたり、怒ってる時は、本当は悲しいの。 怒りの下には必ず悲しみや寂しさがある。 怒ってる時「今自分は悲しんだな」と考えるようにすることは、 意識してやってみてほしい。
私って、俺って、ダメだ、 何らかのきっかけで、何らかの状況の中で、 そんなことをひしひしと感じると、 自分はダメなんだと思ってる部分を見せてくれる人に対して怒りを感じる。 ミョーに許せなかったり。 で、執拗に責めてしまったり。 でも、本当はその人じゃなく自分を責めてるんだよね。
そういうもんなんだと認めるだけでも、 だんだん色々なことが見えてくるようになる。 まず認めちゃう。
私なんか、大体アンナにぎゃーぎゃー言うことって、 自分に言ってることだもんねぇ (; ̄▽ ̄) まんま自分攻撃。
逆に、相手に対して思うことや、感情的に口をついて出てくる言葉は、 自分に対しての思いや言い続けている言葉。 だから、自分が根っこの方で自分をどう思っているのかがわかる。
自分がいい感じだと思える時、なんか調子いいぞ、楽しいぞ、 そんな時、周りの人に対しても優しくできるのは、 自分にオッケーを出せているから。 自分を受け入れた分だけ周りを受け入れられる。 仮に同じ家族の言動に対しても、 そういう時は腹が立たなかったり、気にならなかったりする。 自分を責めていないから、周りの人を責めない。
話がちっとそれたけど、 自分を評価できない、許せない、愛せない、ってのは、 突き詰めていくと、本来の自分を生きていないということになる。 なぜなら、人は存在そのものが愛なのであり、 ひとりひとりがかけがえなく美しいものなのだ。 ただそこにいるだけで何かを成している。 たとえ何もしていなくても。
けれど、それを感じられないような時、苦しくなる。 自分の存在が愛に満ちてイキイキして輝いていると感じられないと。
子供がみんなイキイキして輝いているのは、 ま、難しいことは考えていないにしても、 自分の存在に対して何の疑問も否定的観念も持っていないからだ。 自分を見失うこともない。 個が分離しておらず、感じたまま思ったままがまんま自分なので、 葛藤もなく、自分がわからないということもない。
けれど、育つ過程で、親や周りからの言葉などで、 自分というものを誤って認識していくと、 (あなたは悪い子、それがダメ、あれがダメ、そんな言葉やそれを感じさせる態度、 そんなものによって刷り込まれる、自分はダメなんだ、という認識、 愛されない自分、という自己像) セルフイメージが本来の姿からどんどん離れていってしまうので、 私は誰?ここはどこ?何のために生きてるの?になってしまう。
本当はシンプルなんだよね。 苦しくなるのは、自分じゃない自分を自分だと思ってしまっているというだけのことで。 そして、本当の自分を思い出すことで、 私達は心地よく素晴らしい流れの人生に戻っていくことができる。
じゃあ、どうしたら本当の自分を思い出せんのよ!? それに戻れんのよ!? ってことになる。 セラピーとかセミナーとか、他にも色々方法はある。 戻るんだと深い部分で決めた時(無意識に決めているので自覚はないこともある)、 そういう情報や人を引き始めるよ。 もし、あれ、これかも?って何かがやってきたら、乗っかっちゃってください。 それがあなたを導いていく。
自分のかわいいゴミ箱をのぞく度、 私の奥の方にもまだそんなものがあるんだなぁ、と感じる。
まあ、昔に比べたらずいぶん減っただろうし、 そういうものを客観的に面白おかしく眺めている分、 前進してきたんだなぁ。 もちろん、落ちてる最中はずっぽりそこにハマってるけど(笑)
誰にでもある。 心の闇。 遠い昔に刻み込まれた悲しい物語の記憶。 でも、誰でもそこから抜けていくことができるよ。
本当に大切なのは「何をするか、どうするか」じゃない。 「どう在るか」だ。 在るべき姿であれば(本当の自分、本来の自分)、 何をするか、どうするかは、おのずと見えてくるのだから。 さあ、そろそろ私も改めて自分の深い部分に触れて、 もっともっと本当の自分に出会おうではないかっ。 もういい加減がっつり本当の自分でいたいよなぁ
そろそろ白髪染め流してこなきゃだ。 お風呂&バブシャワータイム。 美容室で染めるのやめて、最近は「ラフィーネ」使ってんのよ。 回数を重ねて染まっていくんだけど、なかなかいいみたい♪ リピ確定だね。
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