おひさまの日記
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| 2010年07月31日(土) |
「ありのままでオッケー」への考察 |
ここ最近の私は、毎日6時に起きて、 朝ごはんを作り、家の中のことを一通りやって、 また2、3時間寝る、というようなリズムだ。 決していいリズムではないんだろうけど、 寝るのが遅い分、そんな形で睡眠を6時間前後取っている。
今日も10時頃起き出して、もさーっと下に降りていった。 アンナがダイニング(つか、台所・笑)にいるのを見て、 あらー、母さん二度寝してこんな時間に起きてきて、 なんか恐縮だわよ、と思い、彼女に言った。
「こんな時間に起きてきて、 だらしないとこ見せちゃってる気がする。 ママ全然お母さんらしくなくてごめんねー」
すると、アンナが言った。
「ううん、お母さんらしいよ」
「こんなんでどこがさ!?(笑)」
「ママはそこにいるのがママらしいんだよ」
思わぬ言葉に母さん胸がグッとなった。 あんたどこでそんな言葉覚えたんでしょうか? 目頭熱くなっちゃうぢゃないか!
「ありがとうね」
不思議なもんで、肯定されると、 ああ、もっとよくなろう、 まずいと思ってる部分を改めよう、 そんな気持ちになる。 アンナの言葉には「北風と太陽」の太陽みたいな あったかくてやさしい力があった。
お礼に(笑)午前のおやつにコーヒーフロートを作った。 ミルクたっぷりカフェオレに、バニラアイスをどぼん、どぼん。 ふたりであっつい台所でコーヒーフロートを食べた。 うまっ!!!
子供に教わることって本当に多い。
そこにいるのが自分らしい、か。 その時「ありのままでオッケー」って言葉が思い浮かんだ。
その言葉、よく読んだり聞いたりすると思う。 そして、その通りだと思う。 でも、それは時に難しい言葉だ。
たとえば、会社に勤めていて、遅刻欠勤は当たり前、 仕事中も途中で抜け出してさぼってばかり、 約束を守らない、仕事を終わらせない、 なんて人がいたとしたら、オッケーじゃない。 その人に「ありのままでいいんだよ」なんて口が裂けても言えない。
けれど、中には「ありのままでいい」という言葉を、 どんな自分でいても構わない、好きにやればいい、 その時その時そのままでいいという解釈をしている人もいると感じる。 あ、それ、かつての私でもあるんだけど(爆)
精神世界で言うところの「ありのままでオッケー」ってのは、 捉え方を間違えると実にコワい。 誤解されやすい言葉なんだと思う。
私、20代の終わり頃、精神世界にどっぷりなことがあって、 しかも自分に都合良くそれらの色々を解釈して実行して、 思い出すと、俺、ヤバかった;とマジで思うのだ。
うん、かわいいね、恥ずかしい自分(笑) それがあったから今がある、だからよしとする ( ̄▽ ̄)
じゃあ「ありのままでオッケー」って何!?ってことになる。 私は、その言葉がスイッチみたいなもんだと思ってる。
私も経験があるけど、自分がどうもよろしくない状態の時、 端から見て「お前そりゃねーだろ」ってなるんだろうけど、 実は、自分でもそれがどこかわかってたりするんだよね、誰より。 これじゃダメだ、私はダメだ、そう思ってる。 でも、そうなってしまう自分なりの理由もある。 たとえその理由が人から見たら「はぁ?」なことだったとしても。
そして、その理由があるから抜けられない。 その理由の多くは、根底にうねうねぐにぐにしたものがあって、 ま、片っ端からあげると日記が終わらないので省くけど、 その根底のさらに根底には、自己否定があったりするんだと思う。 少なくとも私の場合はそうだなぁ。
そんな時に、
「ありのままでオッケーだよ」
その言葉が心に届くと、今はダメダメな自分だけど、 そのダメダメな自分の根底にあるうねうねぐにぐにしたものが、 ほわぁんとほどけるような気がするのだ。 じめっとした苦しい場所にうずくまってる自分と、 そうなってしまう理由の数々も全部ひっくるめて、 まるっと肯定されたような気持ちになる。 はっきりとそう言われたわけでもないのに、
「今そうなってるのは仕方ないよ。 あなたの葛藤や苦しみ、わかるよ」
そう言われたような感覚になる。 そして、ああ、わかってもらえたんだ.。゚+..。゚+. そんな感覚に。 その時、自分の中でしゅわしゅわと何が溶けて、気持ちが楽になる。 冷静に穏やかに自分を眺めたりする。 妙に斜に構えてひねくれていた自分が、 今現在のありのままの自分を認めるようになる。
ハイ、ひねくれてました、 ハイ、すねてました、 ハイ、世の中に背を向けてました、 ハイ、現実逃避してました、 ハイ、もうすべてが何でもよくなってました、 ハイ、周りの人間バカでイヤなヤツばっかって思ってました、 ハイ、誰もわかってくれないって思ってました、 ハイ、なにもかもつまんねーって思ってました、 そして、私にも原因がありました、 私にも変えていったらもっとよくなることがあります…
って。 パチン、ってスイッチが入るのだ。
「ありのままでオッケー」って言葉は、 少なくとも私にとっては、そういうふうにスイッチになってくれる言葉だ。
「ありのままでオッケー」って言われてるのに、 今ここにいるありのままの自分から、もっと違う自分になろうって思い始める。 もっとよくなろう、って。 頑張ってみよっかな、って。
「ありのままでオッケー」ってのは、真の意味で人を動かす言葉だと思う。 表向きの何かが、それでいいのよー♪ってんじゃなく、 存在そのもの、その中にあるあらゆる葛藤や苦悩、すべてがオッケーで、 それでも大丈夫、あなたはうんとよくなれるんだもの、 そんな信頼と愛を与えてくれる言葉なんじゃないかと。
だから、アンナの言葉を聞いて、 暑い夏の日、私の胸の辺りは、 冷たくて心地よい炭酸の泡がグラスの底から舞い上がるように、 しゅわぁぁぁ…ってなったんだと思う。 そして、うん、しゃんとしよう!って素で思えた。 改善できるところは改善して、もっといい感じになろう、って。
手始めに近所を軽くウォーキングしてみますた。 それだけっ!?って思ったんだけど、 暑くてなーんもしない自分より、半歩前に進んだ気がして、 心がほっこりしたのだった。 そして、明日はもっといい感じの自分に… そんな気持ちが奥の方でほわんほわんしているのを感じた。 久しぶりに晴れ晴れとした気分。
アンナマジックに心から感謝。
その言葉で始まることがあるから、 私からも、この日記を読みにきてくださるあなたに感謝を込めて。
ありのままでオッケー!
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