おひさまの日記
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ツイッターで読んだビートたけしの言葉で、 ガツンと来るのがあった。
「感情というのは抑えるのが当然なのに 解放するのがいいって風潮になってしまった」
って言葉だった。
セラピーをやってると、 押し殺していた感情を解放していくことが大切であることは多い。 私も押し殺していた感情があることに気づいて、 それを受け止め解放してきた。 それによって、気づいたことがいっぱいあるし、 ずいぶんと楽になったこともいっぱいある。
それに逆行するようなたけしの言葉。
でも。
私は、たけしのその言葉は正しいと思った。
線引きが難しく思われるかもしれないけれど、 感情を解放するということにはふたつあると思う。
ひとつは、自分が秘めている感情に気づいて、それがあることを受け止めること。 もうひとつは、自分の感情をただあらわにすること。
セラピーで行っていくのは前者だと思う。 たけしが言っているのは後者のことなんじゃないかしら、なんて、ひとり考えた。
スピリチュアル的な在り方が批判されることもよくあるけれど、 それはそうした線引きが曖昧になって、 後者も前者と同じ意味合いとして受け入れられてしまって、 現実に反映しているからではないかと思う。
セッションをしていて、何度か質問を受けたことがある。 じゃあ、感情をどんどん出していいんですよね?と。 その感情があることを認めて、それと共にいることと、 出てくるままの感情をただガンガン外にぶつけるのとは違う。 最終的にその感情と一緒にいて自分がどうあるかが大切なのだ。 そうした質問を受けると、私はそれを説明する。
上に書いた前者と後者がごちゃごちゃになってしまうと、 たとえば、私は今すごく怒っているから暴れていい、 相手を無視していい、傷つけていい、ってことになる。 それは違う。
たけしの言葉は、そうした部分を鋭く指摘したものに思えた。 私の勝手な解釈かもしれないけれど。
そして、たけし、たけし、と、敬称略で連発(笑) 北野たけし氏、お許しを。 私、あの人好きなんだよなぁ。
最近、めんどうくさいのがキライ。 何かをするという行動においてではなく、 誰かとのつながりや、やりとり、そうしたものにおいて。 スパッとまっすぐにシンプルなものがいい。
腹探られるような言葉を投げてこられたり、 あることを言ってほしいと明らかにわかる言い回しで何か言われたり、 ○○ですよね?と聞いてくるのに、そうじゃないという返事を待つ言葉だったり、 遠回しにコントロールされるようなのが本当にイヤ。 昔より冷たくなったのかもしれない。 と言うか、昔より正直になったのかもしれない。 それも言わば、静かではあるものの感情をあらわにする行為だと感じる。
私も実はよくやっちまって、その度abuに指摘されます(笑) そして、そんな彼と長く一緒にいるうちに、ずいぶんそういう部分が減ったと思う。
たけしが言うところの「感情を抑える」ということは、 私も心がけて行動に移したいもののひとつね。
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