おひさまの日記
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写真って感情そのものだと思うことがある。
昔の写真を見ると、 忘れいてたその時ことやその時の感情をふと思い出す。 リアルにその時の想いがよみがえる。
特に、自分が撮る側である時の写真は、 それが強烈であるように思う。 それは、自分が撮るという行為をするからなのだろうけど。
ここ数日、外付けハードの中の昔の写真を眺めたりしている。 ウェブにアップしている写真はほんの一部で、 人の目に触れることのないもののほうが圧倒的に多い。 そんなものを時々眺めることがある。
そんな写真は、私がかつてそれを撮った時へと私を連れてゆく。 その頃に置いてきてしまった大切な気持ちを、 その時の情景と一緒に思い出す。
ある写真を見て涙ぐんでしまった。 それは、アンナの写真だった。 写真の中のアンナは、母の作ったご飯をおいしそうにほおばっていた。
お茶碗を持ってくったくなく笑うアンナは、 今よりもうんどあどけなくて、 過ぎ去ってしまった時間の中でも失われることない輝きを放っていた。 存在の美しさ、存在の尊さを。 そして、どれほど彼女を愛してるかということを思い出した。
私は、慌ただしい毎日の中、当たり前過ぎて忘れてしまう。 そんな大切なものを。
自分に心のゆとりがないと、 周りにあるそんな輝きに目を向けることもできない。 ひょっとしたら、その写真を撮った時も、 特別な思い入れもなく、何気なく彼女を撮ったのかもしれない。
けれど、時を越えてその写真を見た時、 私は、その写真を撮った時には見えていなかったかもしれないものを、 時空を超えて見た気がした。 時差があるからこそ、そこに見えるものを。
写真は魔法だと思った。 タイムカプセルみたい。 人生の中の決してとどまることない瞬間を、 ほんの一瞬だけ切り取って、形にして残してくれる。 それは、時空を超えて届く贈り物のよう。
私は決して難しいことを考えて写真を撮るわけではない。 撮りたいと感じた瞬間に、撮りたいものを撮る。 特別な写真哲学を持っているわけでもなく、 自分の写真のコンセプトを語れと言われても口ごもるだろう。 ただ、なんとなく撮りました、それが本当のところだ。 すべての写真がそんなもんだ。
それでも、後から見た時、 たった1枚の写真が、 大切な何かを思い出させてくれることがよくある。 今日のように。
無数にある過去の写真の中で、 ただ、ふうん、と眺める写真と、 見ているだけで涙が出てきてしまうような写真がある。 たくさんたくさん撮る中で、 恐らく、天使が通る瞬間があって、 そんな瞬間に撮った写真は、 未来の自分へ向けての贈り物が写り込んでいるのかもしれない。 今日、私が、自分が昔撮った写真から贈り物を受け取ったように。
たくさん撮るから、撮り続けるから、 天使が通る瞬間にシャッターを押すこともあるのだろう。 そういう意味では、天使が通らなかった時の写真も多いだろうし(笑)
その贈り物が、自分だけでなく、 いつかは誰かの贈り物にもなったらいいな、そんなことを考えた。
どんな仕事をしているの? 誰かにそう聞かれた時、 恥じることなく、卑下することなく、 「写真家です」と答えられたら、 どんなにいいだろう、そう思った。
魔法の写真が撮れるようになったら、いいな。 誰かの心に何かが届く、そんな写真、撮れるようになれたら。 誰かの感情がよみがえるような、そんな写真を。
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