おひさまの日記
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父の出血は止まり、悪化することなく落ち着いている。 明日以降の検査の結果で今後の治療方針が決まり、 状態が良ければ、年内の退院も視野に入りそうだ。
ただ、毎日なんらかの形で病院に行くのは結構つらい。 自分が付き添わない日も、今度は母の送り迎えで、 私かabuが片道1時間近い道のりを1日2往復することになる。 仕事して送り迎えして、その間にアンナの送り迎えもして(学区外通学)… となると、それだけでへとへと。 ああん、ごはんはレトルトカレーでいいかしらー?いいともー! abuができる限り送迎をしてくれるように頑張ってくれているし、 家事全般も、私よりやってるじゃん、ってくらいやってくれているので、 なんとか体力気力がもってるようなもんだ。
そう思うと、健康って本当にありがたい。 自分が健康でいることって家族への貢献でもあるのだなぁって思ったり。
平凡な日って特別これといった素晴らしいことはないような気がするけど、 でも、実は、健康でいるという、それだけでありがたい状態なんだよな。
それに、忙しいと何も自分のことできないと思いがちだけど、 振り返ると、ヒマなときの方が時間があるはずなのに、 そういう時は案外ボーッとして何もしなかったりするんだよなぁ。
だから、言い訳せず、自分のしたいことも、 そんな中でしっかり手をつけていけたらと思ってる。
去年の今頃のことを思えば、あーんてことねーだよ(笑) ゆうパックの配達に明け暮れ、早朝から深夜まで走り回ってたからね。 あのつらさ思えば今は楽、楽。 本当にいい体験だった、ゆうパックの配達。 もう二度とやらないけどね、ふっ…( ´_ゝ`)
とは言え、自分のしたいことを十分にするには、 やっぱりもっと時間が欲しい。 それに、何より、気持ちのゆとりが欲しい。 生活の手段としてだけの仕事をして、つらさに打ちのめされて、 疲れて帰ってボーッ…として寝るだけの生活をしていると、 自分の好きなことさえも忘れてしまうんだ。 そのためにも、郵便局を辞めることを決めたのだし。
人生の道は歩くことでできてくる。 道がないのなら、道を作るために歩くしかない。 じっとそこにいるだけじゃ何も見えてこない。 道がないから行かないんじゃなくて、 行って道を作ろうと、最近思うようになった。
道がない、道がわからない、だから行かない、少し前までの私はそうだった。 でも、本当に色々あって、道がない、道はわからない、 だけど、行きたい方向はある、 それなら、道はないし、どっちに行ったらいいかわからないけど、 歩き出すという行動を起こすしかないと思った。 だって、そうしなかったら心が死んでしまうと思ったから。 私が私でなくなってしまうと。
こわかったよー、すごく。 何の保証も、何の方法も、何のあてもないまま、 それでもその道を行く選択をするのは本当にこわかった。
でも、歩き出してよかった。 行動を起こすと、その連鎖反応で、 必要なものがどんどん引き寄せられてくる。
私は、約2年、まるですべてが停滞しているかのような状態の中にいた。 長い長い2年だった。 それまで、自分のものであったもの、自分が関わっていたもの、 そんなものがすべて終焉を迎え、自分からなくなってゆく。 その終焉は、自らの選択だったり、訪れたものだったり。 丸裸になったような感じだった。 なんにもなくなっちゃった…って。 それは、恐らく、abuも同じだろう。 私にあったのは家族だけだった。 そして、この2年、その家族が私の支えだった。
住む家があり、食べるものがあり、 決してやりたいことではなかったものの、日銭を稼げる仕事があった。 そして、家族がいた。 だから私はやってこられた。 本当にどん底であるなら、そんなものさえなかっただろう。 恵まれている、本当に私は恵まれている。
この2年で、いったんあらゆるものをリセットしたような気がする。 そして、本当に充実した2年だったな、と。 いや、過ごしてる時は充実してるなんて思わなかったよ。 むしろ、何もかもうまくいかないと思ってた。 でも、それは、私にとって必要なプロセスだった。 今だから、わかる。 どんなことも、過ぎて初めてわかる。
基本、私は、つらい状態の渦中にいる時、 無理してポジティブにはなろうとしない。 むしろ、ネガティブな気持ちはそのまま感じるようにしていて、 で、じゃあどうするわけ?と持っていくと言うか。 そして、結局どうにもならないので、ま、いっか、と。 ま、いっか、と、それなりに暮らしている中でも、 気づかないうちに本当にたくさんの貴重な体験をしているわけで。 つらい時は、これも大切なプロセスね、なんてみじんも思わないもんね、つらいから。
人は、つらい中、みじめな中、どうしていいかわからない中、 その気持ちといることによって、本当に多くを得ていると思う。 その日を生き延びるために仕方なくすることの中にさえ、 その先に必要なものがたくさんあることを確信している。
停滞しているように感じた2年の間に、 なんとなく始めて、ただ楽しいからと続けてきたフリッカー(写真投稿サイト)が、 今私達に多くを与えていることを実感しているし、 生活のために仕方なくやったパートでも、 そこでしかできない体験の中に必要なものがいっぱい詰まってた。 停滞期ばんざーい。
いやぁ、しかし、本当につらかった…
万事塞翁が馬とはこのことでござんす。
尻切れとんぼになったけど、今日はもう寝るんだー。 明日仕事だし。 おやすみんちょ。
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