おひさまの日記
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誰かに歩み寄ることが難しい時、 それは自分に歩み寄ることが難しいのだ。
誰かに怒りを感じる時、 それは自分に怒りを感じているのだ。
誰かを責めずにはいられない時、 それは自分を責めずにはいられないのだ。
誰かの何かに心痛む時、 それはその人の痛みを自分が持っているのだ。
神は世界をうまく創りたもうた。
私達が幻想の世界を抜けて、 やがて自分の元へと戻れるようにと、 その道しるべに目の前にたくさんの鏡を置いてくださった。 魂のレッスンに必要なテキストでもあるかのように。
鏡、それは私達の周りのすべての人。
かつて何枚もの鏡に向かって声高に叫んだり、鏡自体を割ったりして、 そこに映る嫌悪の対象になるものをなんとかしようとしたけれど、 それは消えはしなかった。
なぜなら、鏡は自分を映しているだけで、 鏡自体は無のようなものであり、 私が憎んだのは鏡ではなくその中に映った自分そのものだったから。
鏡を割る度に、割った手が傷ついて血を流すように、心が痛む。 なぜなら、鏡を割ることは、自分の存在を否定することだからだ。
私達は常に自分の内側の世界を外に見ている。 外に向かう感情は、内側に向かう感情そのものだ。 外に向かって許しを放てば、内側に許しが満ちる。 外に向かって愛を放てば、内側に愛が満ちる。 その時初めて私達は自分を愛し始める。
そうして自分を許し愛せる時、初めて世界を許し愛せるようになる。
私は祈ろう。 どうか、どうか、そうあれますようにと。 不器用にでもいい、とつとつとでもいい、そうなっていけますようにと。
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