おひさまの日記
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| 2005年10月12日(水) |
ワークを通して自分を見つめてみる |
ワークショップも終わり自分を見つめてみる。 そのの最中私の中から溢れてきた言葉は、
「生きていてごめんなさい。 息をしていてごめんなさい。 許してください」
だった。
ゆっくりゆっくり抱きしめよう。 その想い。 私が私に許してあげよう、生きていることを。 その悲痛な叫びを静かに受け止め、それがあることを知っていよう。
痛みは止めどなく、後から後から溢れてくる。 でも、それは苦しみではなく、救いなのだと感じる。 溢れて、そして、愛に帰ろうとしている。 だから、感じていこうと思う。
日常でいつもそんなことを感じてるわけじゃないけど、 何かあった時、その痛みがソースとなって、 色々な心理反応を引き起こしているのだろう。 そんなことを思いながら、 自分の誰かの言葉や態度や出来事への反応を思い返してみる。
私達は、生きていると、 日常のあらゆる出来事や状況で痛みの感情をあぶり出される。 怒り、憎しみ、悲しみ、蔑み、焦り、不安、不快感、拒絶感、時に無感覚。 そんな感情は媒体となって私達を本来の姿へと導いてゆく。 だから、そういう感情が自分にあると知ることがすごく大切で。
私達が感じる痛みは、 私達が無意識のうちに罰して、 無意識の中に置き去りにしたありのままの自分の嘆き。
痛みの感情はそれがそこにあることを知らせるサイン。 それを辿っていく時、私達は必ず本当の自分に辿り着く。
だから、私は、痛みの感情が出てきた時、 とてもつらいけれど、でも、うれしい。 そして、なにかを訴えようとしている無意識の中の自分の存在を知る。
でも、そこから先をひとりでやるにはちょっと大変で、どうしていいかもわからなくて。 そのために私達はナビゲーターを必要とするのだろう。 そして、学び、私は誰かのナビゲーターになりたくて。
うーん。
何度も癒しの体験を繰り返すうちに、 痛みは悪さをしてるんじゃなく、救われたいと願って訪れているのだと確信し、 いつの間にか、痛みさえも愛おしくなった。
もちろん苦しい時はすごーく苦しいけどね。 でも、何て言うんだろう、安心して苦しめるようになったよ。 痛みを感じれば感じるほど、そこから抜けてゆく、癒される準備が進んでいく、 そんなことを感じてる。
セラピストの自分が、悲しくて歪んでる自分を、じっと眺めているような、 そんな感覚になることが幾度もある。
でも、叫ぶよー、つらい時は。 悲しくて歪んでる自分の方が強い時は。
そして、また、どこかへ辿り着くのだろう。
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