おひさまの日記
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2005年10月02日(日) セラピーの効果

ゆうべつらくてどん底まで落ちて、
目が腫れて頭痛がガンガンするほど泣いて、思った。
私は、6年前に心理療法の世界に足を踏み入れてから、
確実に変化しているのだな、と。
これは明らかなセラピーの効果だ。

じゃあ、セラピーの効果とは何か。

昔、私は、セラピーを受けるとつらいことがなくなるのだと思っていた。
イヤな思いをしなくなるのだと。
でも、それは違っていた。

セラピーを受け始めて、受け続けて、
自分でも提供する側としてたずさわり続けて、
それでもつらいことはてんこ盛りだ。
変わりたいと思っている部分が、
変わってたりしつつ変わってなかったりもする。

でも生きるのがすごく楽。
なんか楽。
恵まれてる、幸せ、ありがたい、そう感じることがとても増えた。

それがセラピーの効果。

では何が変わったのかと言うと、
つらくなった時、自分で抜けていけるようになったこと。
誰かになんとかしてもらうのではなく、
自分の力で切り抜けられるようになったこと。
それが大きな変化。
つらいこととの付き合い方が上手くなるということでもある。
苦しい状況と向き合う処方箋を手に入れたと言うか。

たとえば、人間関係でつらくなることは誰でも多いと思うけれど、
そういう場合、セラピーを受ける前は、
私の場合、まず相手を責めることから始めていた。
なんでそういうこと言うの?
なんでそういうことするの?
なんでこうしてくれないの?
なんでわかってくれないの?
なんであなたはそうなの?
って。
あなたのそういうところがイヤなんだ!と、
相手に変わることを強く望んでいた。
結果、それがうまくいくことはなかった。

人によっては、自分を責めることから入る人もいるだろう。
なんでこういうこと言っちゃうんだろう?
なんでこういうことしちゃうんだろう?
なんでこうできないの?
なんで私はこうなの?
って。
私もそちらが先の場合もよくある。
アンナをこちらの反応できつく叱ってしまうような時がそう。
また、相手に不機嫌な顔をされてしまったような時、
私なにかした?
私のこんなとこがいけない?
と、自分に原因をひたすら探したりもする。
またやってしまった、私ってこれだからダメなんだ、と。

そして、相手を責めること、自分を責めることを、同時にしている場合もあるだろう。
私もそうだ。
それが入り交じってひとつになっている。

どうして私がこんな目にあうの?とかね。

セラピーを受ける前は、こうしたことがあっても、
ただ気持ちがおさまるのを待ったり、
つらさを別のものでまぎらわしたり、埋めようとしたり、していた。
時に、生活のために、なにもなかったかのように、
それを感じないようにして過ごしていたこともあった。

でも、セラピーを受けていくことで、
だんだんそれらから自力で抜けれられるようになったのだ。

少なくとも、私の体験してきたセラピーは、
過去のトラウマに出会っておいおい泣くだけのものではなかった。
そこには、どういうことがあると心にどういうことが起こって、
そこで傷ついた人はどういうふうになるのかという学びがあったし、
その学びを深めることによって、自分を知ってゆくこともできた。
それすなわち自分の周りの人を知ってゆくことでもあり、
自分だけでなく、他者への理解も生まれた。
たくさんの気付きがあった。

それらがあるおかげで、私は自分が置かれた状況を、
つらい気持ちを抱えたままでも、眺める目を持てるようになった。

かつては相手を責めて、
なんとか相手を変えようと、自分の思う通りにしてもらおうと必死になり、
また、かつては自分を責めて、
誰かに許してもらったり助けてもらったり、また理解してもらうことを望み、
問題の解決のすべてを他者にゆだねてしまっていた。
それが叶わないと、心を閉ざしたりもしていた。

今は、自分のつらい感情のすべてが、
相手のせいではなく、例外なく自分の心理反応だとわかっているので、
相手や自分を責める場所から抜け出しやすい。
そして、相手の心の痛み、自分の心の痛みをいたわるポジションになんとか入れる。
もちろん、感情の生き物人間だから、かなり葛藤しながらだけどねぇ。

そして、つらい状況から抜け出すためにすることは、相手に与えていくことだ。
相手はつまり自分であり、相手にそれをする時、自分自身にも与えていることになる。
相手は自分のシャドー(ネガティブな投影)、自分が許せない、受け入れていない自分そのものだからだ。
その部分を許し、受け入れることで、自分の中の葛藤がなくなってゆく。
それにより、自分の内側を投影していた外の世界にはそれがなくなるのだ。
すべては自分を許すことにある。

葛藤がありながらでもいい。
相手を理解する、自分を理解する。
相手を許す、自分を許す。
相手を受け入れる、自分を受け入れる。
いきなり相手に向かってにっこりする必要などはない。
まずは心の中でその作業ができていればいい。
自分に対してもそうだ。
葛藤しながらでも自分に対してそうできればいい。
それをしていく時、自然に私達はつらい場所から抜け出してゆく。
嘘のように楽になってゆく。
そこには癒しが起こっている。
それの繰り返し。

セラピーを受け続けて、心理療法にたずさわり続けて、
私はそういうことを体験できるようになった。
それがセラピーの効果の最たるものだ。

が。

ここにつらつら書いてきたことは、ただの文字の羅列であり、机上の空論。
だから読んだだけでは「???」となるかもしれない。
意味がさっぱりわからないと思う人もいるかもしれない。

私達は体験しないとわからない生き物だ。

砂糖は甘いんです、と言われても、
実際に口にしてみないと、甘いということ自体がわからない。
口にしてその味を自分の味覚という感覚で体験することで、
初めて言語での説明と味が一致し、理解に至る。

セラピーもそれと同じ。

セラピーとは体験そのものだ。
生きて成長していくプロセスそのもの。

与えるとか、許すとか、受け入れるとか、
そんなもん言葉で読んだり聞いたりしても、
それが人生を変えてゆくものとわかってても、
できないから苦しいんだ、ってことになる。

すべてが必然だなんて、こんな苦しいこと、そう思えない、
そう思いたくもなる。

だから。
体験してそれがどんなもので、
それをするとはどういうことで、
それをするとどうなるかということを、
理屈じゃなく無意識のエリアにまで及んで体験して自分のものにしていく作業。
その一連の流れを体験することで、この世界の出来事のすべての必然性も感じてゆける。

私がたずさわっているワークショップHEARTなどはその体験そのものであり、
かなり速いスピードで気付きと学びと癒しを体験していくことになる。

私もまだ道の途中。
ネガティブな感情渦巻く人間。
学びも、体験も、癒しも、段階を追ってゆく。
死ぬまで道の途中。

私達の魂は、生きて、体験して、成長することを望んでいる。
生きていること自体が魂の冒険なら、やってやろうじゃないの、と思うのだ。


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