おひさまの日記
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2005年09月30日(金) 鏡よ、鏡

自分の接する人が自分だと考えてみる。
特に心地よくない感情を抱いてしまう人に対して。

責めたくなる人、
批判したくなる人、
悪口を言いたくなる人、
嫌いな人、
ムカつく人、
こわい人、
近寄れない人、

そんな人を前にして「あの人は自分なんだ」、そう考えてみる。

接点を持った時、心地よくない感情を抱いてしまう人、
それは例外なくネガティブな投影、シャドー。
つまりは、自分の気づいていない無意識の中の自分を見せてくれている人。
自分の鏡。

もし相手が自分なら、私は自分であるその人にどう接したいのか、自問自答する。

自分を責めたいのか、
自分を批判したいのか、
自分を悪く言いたいのか、
自分を嫌いたいのか、
自分にムカつくのか、
自分がこわいのか、
自分に近寄れないのか、

考えてみる。

そして、そうだとしたら、じゃあ自分にどうしてやりたいのか、考えてみる。

鏡よ、鏡。
あなたは私。

ネガティブな感情を越えて鏡に近づいていったら、
ネガティブな感情のフィルターの向こうで鏡をちゃんと見たら、
そこには違う世界がある。
痛くても、こわくても、それでも近づいていったのなら。

鏡に与えることは、自分に与えること。
そして、それは人のためにするのではなく、自分のためにすること。

人に思うこと、言うこと、すること、
ほどこすことすべてが、自分に与えることだ。

私達は、思い、言葉、行動、それらのあやまちを認め、
それらを最も自分の真実にふさわしい愛に満ちたものへと、
変えていく意思の力を持っている。

最初から完璧であることはない。
あやまちを犯すからこそれに気づき、
それを変えてゆく機会を与えられている。

鏡を通して、私達はその作業を行うことができる。


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