おひさまの日記
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2005年09月27日(火)

私はつらい気持ちになると寝ることが多い。
ほんの小1時間でも空き時間があると、目覚ましをセットしてさっさと寝る。

今朝も、ある人とのやり取りでつらい気持ちになることがあった。
誰かとのコミュニケーションにおいてダメージを受けると、
いつも訪れるざわざわして苦しい気持ち。

それを持て余して、
でも、それをなんとかしようとして、
これまでのように性急に相手に電話をしたりメールをしたりすることもなく、
時の流れに少し任せることを選択して、
だから、寝ることにした。

そして、私は夢を見た。

夢の中では、
朝やりとりをしてつらい気持ちになった相手がいた。
その人がただ立っていた。
私の中で、ある想いと言うか、感覚と言うか、
とてもはっきりとしたものがふぅっ…と浮かんだ。

「それ(その人、そしてその人の想い)はただ向こう側にあるだけ。
 ただそれとしてあるだけ。
 それだけ。
 そして、それは私にとって「ない」のだ」

それを感じた時、夢の中でとても気持ちが軽く穏やかになった。

そう、そうだ。
それはただ向こう側にあるだけ。
ただそれとしてあるだけ。
それだけ。
そして、それは私にとって「ない」のだ。

うまく説明できないけれど、とても深い感覚。

私の大好きな般若心経を思い出した。
中学生の頃からなんだか惹かれて、自然に覚えた。
意味もわからず好きだった。
今でも理解したかと言えば疑問だ。
それは理解するものではなく体得するものなのだろう。
私はその夢の中で、なんとなく、
その感覚をほんの少し感じたような気がした。

経文そのものはただ読んだだけでは難解なので、
ひろさちや氏による般若心経の現代訳を。


**********



観自在菩薩がかつてほとけの智慧の完成を実践されたとき、
肉体も精神もすべてが空であることを照見され、
あらゆる苦悩を克服されました。

舎利子よ。存在は空にほかならず、空が存在にほかなりません。
存在がすなわち空で、空がすなわち存在です。
感じたり、知ったり、意欲したり、判断したりする精神のはたらきも、これまた空です。

舎利子よ。このように存在と精神のすべてが空でありますから、
生じたり滅したりすることなく、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもしません。

そして、小乗仏教においては、
現象世界を五蘊(ごうん)・十二処・十八界
といったふうに、あれこれ分析的に捉えていますが、
すべては空なのですから、そんなものはいっさいありません。
また、小乗仏教は、十二縁起や四諦といった煩雑な教理を説きますが、
すべては空ですから、そんなものはありません。
そしてまた、分別もなければ悟りもありません。
大乗仏教では、悟りを開いても、その悟りにこだわらないからです。

大乗仏教の菩薩は、ほとけの智慧を完成していますから、
その心にはこだわりがなく、
こだわりがないので恐怖におびえることなく、
事物をさかさに捉えることなく、
妄想に悩まされることなく、心は徹底して平安であります。
また、三世の諸仏は、ほとけの智慧を完成することによって、
この上ない正しい完全な悟りを開かれました。

それ故、ほとけの智慧の完成はすばらしい霊力のある真言であり、
すぐれた真言であり、無上の真言であり、無比の真言であることが知られます。
それはあらゆる苦しみを取り除いてくれます。真実にして虚妄ならざるものです。

 そこで、ほとけの智慧の完成の真言を説きます。

 すなわち、これが真言です。

「わかった、わかった、ほとけのこころ。
 すっかりわかった、ほとけのこころ。
 ほとけさま、ありがとう」



*****



それから私はとても穏やか。

眠ることで無意識や大きな存在と近くなれるような気がする。
それ以前に、寝ちまえばとりあえず苦しくないなって感じで寝るんだけどね。

素敵な夢だったな。
夢、と言うか、なんだろう、不思議な体験だった。
導いてくれている存在がくれたメッセージだったのかもしれない。


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