おひさまの日記
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| 2005年08月29日(月) |
私のシャドーへの考察 |
27、28日と、またワークショップ H・E・A・R・T に行ってきた。 今回のテーマは「鏡に映った自分をもう一度見つめてみませんか?」。 投影についてを学び、体験した。 相変わらず濃いぃぃぃ〜でしたよ(ヘンな日本語)。
「投影」、読んで字のごとく「影を投げる」。 心理学では基本中の基本、時には耳にタコな言葉。 頭でも十分に理解していることではあったけれど、 この2日間が私自身も自分の投影について深く感じる機会となった。 そして、それは、かつてないくらい頭での理解を超えて、 自分の真ん中にストンと落ちるシャドーとの出会いとなった。
ワークショップの前日というものすごいタイミングで、 贈り物がポトンと宇宙から落ちてきたことで、それは始まった。
私の母は見事なすっとぼけ。 たとえば、私が「右ね」と言えば、「はいよ」と返事して左に行く。 私が「黒ね」と言えば、「黒だね」と返事して白を出す。 言ったことは端から大体忘れるし、 そもそも理解力が乏しいので、会話が成立しないこともある。 それにかなり忘れっぽい。 自分の世界に入ってることもあるんだかないんだか、 時々ワケわからんちんな人なのだ。
よく言えばサザエさんが強力にバージョンアップしたような人なのだが、 父はそんな母にいつも苛立ち、怒鳴りちらしていた。 私も物心ついた頃から、父と同じくそんな母に苛立ちを覚えていた。
そして、ワークショップ前日、 母がみごとにすっとぼけ、私は母に激怒した。 (すっとぼけの内容を全部書くと長くなるので、ここでは省略)
怒りが引いた後、ふと思った。 私が長い間母に対して感じてきた怒り、しかもかなり激しい怒り、 それが単純に私のシャドーなら? 基本中の基本の考え方だ。 でも、家族が対象となると、存在が身近なだけに感情が先に立ち、 今までそんなこと考えることもなかったように思う、と言うか、 逆に考えないようにしていたのかもしれないと今になって思う。
私の怒りを駆り立てる母に感じるものを、 ワークショップの最中にノートに書き出してみた。
忘れっぽい 言われた通りにしない 話が通じない 物覚えが悪い 頭が悪い だらしない きちんとしてない バカ トロい ノロい どんくさい
それを書き出してみて、改めて「!」と思った。 それは、私が娘のアンナに怒りを爆発させる時に感じるものとも同じだった。 そして、シャドーの基本中の基本の考え方、 それらは自分の中にあって自分ではないと思っているもの、そう考えてみた。
私って、忘れっぽくて、言われた通りにできなくて、 話が通じなくて、物覚えが悪くて、頭が悪くて、だらしなくて、 きちんとしてなくて、バカで、トロくて、ノロくて、どんくさいのか〜、って。
そうしたら、なんだか、うふふ、と笑いたい気持ちになった。
それらは私が目指しているものとは正反対のものばかりだった。 決してそうなりたくないし、自分はそうじゃないぞと、 自分が力こめて頑張ってきたことばかりだなぁ…って素直に思えた。 実は私ってそういう部分がある人なんだなぁ…って。
そう考えたら急に体中の力が抜けたような気がした。 なんか、楽な気持ちになった。 自分のシャドーを理屈抜きで理解して受け入れた瞬間だったように思う。
だからと言って、じゃあそれ以後、 母やアンナに腹が立たないかと言うと、それは別で、 体験が伴わない理解だからね、 そうなるまでにはもっとプロセスが必要なんだけど。
今までは自分はそうじゃない!って思ってた、かたくなに。 でもそうじゃないよなぁ、結構マヌケだもんなぁ。 今思えば、自分がしっかりした人間を目指してきたから、 いくらかでもしっかりした人になったかもしれないけど、 ベースがマヌケだから、やっぱり折々マヌケが顔を出していた。 だけど、そんな時、しっかりした自分が光の速さで現れてそれをかき消してたよなぁ。 ありえねー!って。
かつて父が母に言葉の暴力や、実際に手を上げる暴力を振るう時、 その原因のひとつは母のすっとぼけだった。 それを見て育った私は、母のようになってはいけないと思ったし、 母のようになったら父がしているように誰かに罰されると思った。 そして、また、母がそうだから、父がこんなに暴力を振るい、 家の中がぐちゃぐちゃなのだとも思った。 母のせいだと思った。 母がきちんとさえしていれば父が暴れることはないのだと思った。 母を恨んだこともあった。 「あんたがそんなだからだよ、あんたのせいで私は苦しんだよ」と。 私が中学生になるまでは、父の暴力は私には及ばなかったが、 間接的に両親の不仲を見せつけられて苦しんだ幼い私の叫びだった。
そんなことを思い出した。
私は心に傷を負って、 父の怒りの原因となる、自分の中の母と同じような部分を自分から切り離し、 罪悪のレッテルを貼り、深い意識の底に封印してしまったのだろう。 「こんなもんいるもんか、こんなもん私にはないんだぞ」って。 本当はのんびりやさんでマヌケでトロい私だっただろうに。 そして、それがありのままの姿だっただろうに。 その時から私は「きちんとした人、しっかりした人」目指して驀進し始めたに違いない。
私はバツイチだけど、別れたダンナは「だらしない」のかたまりみたいな人だった。 社会人としてまったく通用しないほど、すべてにあまりにもだらしなかった。 (なんであの時結婚したんだ!?当時の自分が理解できん!) 今思えばシャドーだったからだよなぁ、人はシャドーを引き寄せるんだよなぁ(笑)
もし父が母に対して、 サザエさん一家がおマヌケなサザエさんに向かって、 笑って「もぉ仕方ないなぁ」ってやってるみたいに接していたら、 母のすっとぼけはお笑いで済んでいたはずだ。 私もそんな母を見て、別段怒りも感じず「もぉお母さんったら」程度で済んでいただろう。 私の観念は大きく違って形成されていたはずだ。 同じ出来事でも意味付けが違っていたはずだ。 それを強く思う。
父親の暴力に怯えて「助けて!おうち怖い!」と狂ったように泣き叫ぶ、 記憶にはない感情にまみれた信じ難い7歳の自分に出会った日から、 私は、少しずつ、少しずつ、セラピーやワークショップや日常の出来事を通じて、 たくさんのプロセスを経て、たくさんのことを学び、たくさんの体験からたくさんのことに気づき、 たくさんの知らない自分と向き合い、たくさんの癒しを体験してきた。 そして、それらは今も続いている。
私はまた大切な自分に出会った。 今までのすべてのプロセスがあったから出会えた。 心の傷ゆえに、切り離し突き放し罰し続けた自分に。
私はまだあなたに手が届かない。 だから感情も感じない。 でも、あなたの気配を感じ始めている。 間違いなくそこにいて、そして近づいてきているあなたに。 よく来てくれたね、ありがとうね。 ずっとずっと気づかなくてごめんね。 私はあなたが出てきてくれるまでずっと待っているよ。 あなたがそこにいることを感じながら待っているよ。 小さな小さな傷ついた私。
現れたら手の付けようのない、コントロールしようのない激しい感情、 母やアンナにぶつけていた怒りは、自分を責める怒りだった。 私はその衝動的な怒りを「魔物」と呼んでいた。 それは突然現れ、現れたら最後、そいつが去るまで手の付けようがなかった。 そして、そいつが去った後、絶望にも似た悲しみに襲われ、 私は生きていくことを放棄したくなるのだった。
その絶望にも似た悲しみは、自分を責め、自分の存在を全身全霊で否定した結果なのだろう。 人を攻撃するととても辛くなるのは自分を攻撃するからだ。 よく言われることだけど、本当にそうだ。 シャドーを忌み嫌い、否定し、攻撃することは、自分への仕打ち以外の何者でもないことを、今改めて思う。
今、新しいプロセスの途中。
現れてくれてありがとう、切り離してしまった私。 私は逃げないであなたの気持ちを感じていくよ。 どれだか怖かったか、どれだけ悲しかったか、どれだけ苦しかったか。 もうあなたを見失うことはないよ。 ありのままの私であるあなたを。 小さい小さい私。 大好きだよ。 伝えたい時に、あなたの感情を私に伝えてきてね。 待っているから。
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