おひさまの日記
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今日、マンションの階段で、 大きなクモの巣に真っ白でとてもキレイな蛾がひっかかっていて、 今まさに大きなクモに食べられているところだった。
クモの巣に張り付いて身動きが取れなくなった蛾を、 クモが長い手足で抱え込み、かぶりついていたのだろう、 蛾は張り付きながらも羽をバタバタとさせてもがいていた。
私はそれを見て蛾がかわいそうになり、クモの巣を壊してクモと蛾を引き離した。 蛾は下にぽたりと落ちた。 クモは仕方なく壊れた巣の上の方に戻っていった。
少ししてまたそこを通ると、 さきほどの蛾がまだ同じ場所にいた。 死んじゃったのかな…と思い、足でそっとつついてみると、かすかに動く。 今にもこと切れそうに見えた。 壊れたクモの巣に、もうさっきのクモはいなかった。
それを見て、私は一体何をしたんだろうと思った。
クモが蛾を食べようとしているその様は、 一見、弱いものが強いものに襲われている光景に見えた。 クモが加害者で、蛾が被害者。
けれど、本当にそうだろうか。 それはなんだか違うと思った。 これは自然の摂理なのだ。
私達人間も動物を食べる。 スーパーでパックに入って売っている肉を買っているから、 豚や鳥の原型を見ないし、殺生している実感がない。
けれど、私達のしていることは今日のクモと同じ。 私は蛾を見てかわいそうだと思ったけれど、実は自分のしていることはクモと一緒。
私は、いなくなったクモに向かって、 そしてほとんど動かなくなった蛾に向かって、 ごめんね、と言った。 何に向かって、何をどう「ごめんね」なんだかわからなかったけど、 そう言いたい気持ちになった。
私達は自然の摂理の中で生きている。 食物連鎖も自然の摂理だ。 食する側が増えれば食される側が減り、食する側に飢餓が訪れ、その数が減る。 すると襲われることがなくなった食される側は殺される危険が減り、その数が増える。 今度はその増えた食される側を狩って食する側が増える。 そうやって自然界はバランスを取っている。
蛾がかわいそうだと思う気持ちを持った自分をいけないとは思わない。 けれど、なんだかとても大きな自然の摂理を見た気がした。 そして、自分がクモと同じ立場であることを忘れてはいけないし、 食されるものが存在していることに感謝しなければならないのだと強く感じた。 私達は彼等の命によって生きているのだから。
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