DEAD OR BASEBALL!

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Vol.180 「長嶋茂雄」という命題
2004年03月19日(金)

 いきなりであるが、これは重い命題である。恐らく、この程度のスペースでその結論を出すこと自体が無謀なことであるとも言える。だが、こういう状況になっている以上、そろそろ私のような個人レベルでもこのことを考えてもいいのではないか、とも思うのだ。

 予め断っておくなら、私は年代的に長嶋茂雄氏の現役時代を知らない人間であるが故に、「長嶋茂雄」という名のノスタルジーとは全く無縁であると思う。大袈裟に言うならば、私の頭の中にある「長嶋茂雄」とは一介の名選手に過ぎず、時代の象徴でもなければ希望の星でもない。

 だからこそ私には長嶋氏に対する特別な感情はない。巨人ファンであるとかそうでないとか、そういうこととは一切関係なく、少なくとも私の中の「長嶋茂雄」は、それ以上でもそれ以下でもないということである。それ故に、生まれてこの方「長嶋茂雄」という名で感傷的になることは一度もなかった。

 なかった、のである。なぜ「長嶋茂雄、倒れる」という一報で自分がこんなに揺れているのか、実際のところいまでもそれはわからない。わからないが、恐らくそれが「長嶋茂雄」という命題に対する自分の答えなのではないか、とも思う。

 極めて個人的なことを言えば、私は長嶋茂雄氏に対してあまりいい感情を抱いていなかった。それは、私が巨人監督としての長嶋茂雄氏しか知らないからだと思う。

 私はこの項で何度も、巨人監督としての長嶋氏の大艦巨砲野球に苦言を呈してきた。彼の“欲しい欲しい病”は、野球界全体の発展を阻害するものだったとも思っている。基本的にその考えはいまも変わらない。一国繁栄主義が球界全体の首を絞めるという持論に則るならば、3年前までの「長嶋茂雄」は、例えは悪いが球界という荒海を暴走する海賊船の船長のようなものだったとすら思っている。

 その方法論の是非や監督としての手腕については、今回述べるべきことではないので棚上げしておく。肝心なのは、彼は恐らく敵も多かったであろうが、それ以上に味方も多かったという事実であると思う。

 いくら私が「長嶋茂雄」にノスタルジアを感じないと言っても、彼が超ド級のスーパースターで在り続けていることぐらいは理解しているし、認めることに何の抵抗もない。「長嶋茂雄」には「長嶋茂雄」にしか出せない世界がある。確かに、ある。それに惹かれた人が老若男女問わず多くいるという事実は、好き嫌いを通り越した次元で認める必要がある。

 選手としての彼を知らない私は、選手としての彼を語れる立場にはない。だから、本来は野球人としての「長嶋茂雄」を語る立場にもないのかもしれないが、彼がこの国にもたらした数々の影響の重みを素通りする訳にはいかない。

 「長嶋茂雄」はひとつの時代だった、という人がいる。「長嶋茂雄」は青春そのものだった、という人もいる。「長嶋茂雄」こそ我が人生だ、という人もいるかもしれない。その全てが正解であると思う。だからこそ私は、ノーを突き付ける立場として「長嶋茂雄」と対峙しようとした。意識していた訳ではないが、結果的にはそうなっていたと思う。そのスタンスの中でも、自分なりの正解は出せていたような気がしていた。

 正直に白状するなら、監督としての長嶋氏の力量に疑問符を抱いていた私は、彼がアテネ五輪野球日本代表チームの監督に就任すると聞いたとき、目の前がクラクラした。確かに彼には他の誰も持てないカリスマ性があり、プロ中心の選手を束ねる人選としては申し分ないが、巨人で投手陣の崩壊を招いた投手起用など、カンピューターと呼ばれた用兵手腕は一発勝負の短期決戦では命取りになりかねない、と思ったからだ。

 だからこそ私にしてみれば、不謹慎を承知で言えば、長嶋氏が倒れたという一報はプラスに転換でき得る材料だと判断してもおかしくなかった。昨年11月のアジア予選メンバー選出では内野に遊撃手ばかりを揃え、個人的には是非とも選ぶべきだと考えている古田敦也を選ばなかった長嶋氏には、正直なところ失望しかける思いすら抱いた。

 いまでは、そんなネガティブな感情はない。全面的に肯定する気もないが、少なくともいたずらに彼を批判する気持ちは、一切ない。

 アジア予選が始まると、なぜか長嶋氏に対する不信感やモヤモヤした感情はきれいに消えていた。日本のユニフォームを着てベンチに毅然とした態度で立つ長嶋氏を見た途端、「ま、いいか」という気持ちが逆に沸き起こってきた。

 「言いたいことはゼロじゃないけど、これはこれとして別にいいか」という感情が、現時点での「長嶋茂雄」という命題に対する個人的な結論である。もちろん、彼が巨人に残した“欲しい欲しい病”を肯定する気はいまだない。しかし彼という命題に対する答えとしてそういったものを持ち出しても、それはあまりにも断片的過ぎて答えになり得ないような気がする。

 象徴としての太陽神か、地盤を叩き壊す破壊の暴君か。彼をそういう二元論にかけても、それ自体に意味があるとは思えなくなってきた。ユニフォームを着てベンチに立つ彼を見たとき、彼はそういうフィールドの存在ではないと思ったからである。

 その長嶋氏が、倒れた。心配は心配だが、これを機にじっくり体を休めるべきだと思えば、無理はしてほしくない。無情かもしれないが、「これはこれとして別にいいか」である故に、この世の終わりが来た程に嘆くことでもない。元よりノスタルジーもないし、モヤモヤした感覚も既にないからだ。

 それでも世間は、それを許してはくれないようだ。「一刻も早く治してアテネで指揮を」という声が少なくないという事実。一刻も早く治ってくれるに越したことはないが、これ以上世の中は「長嶋茂雄」に何を求めようというのか。

 この国の野球界は、いや、この日本という国そのものが、「長嶋茂雄」にあらゆるものを背負わせてきた。彼は「長嶋茂雄」としてひたすらにその期待に応えてきた。それでも世間はスーパースターである「長嶋茂雄」を解放しない。

 二宮清純氏が以前こんなことを書いていた。

『メジャーリーグにおいて、「ベーブ・ルースといえどもベースボールより偉大ではない」という格言があるが、この国において長嶋茂雄という存在は、明らかにプロ野球よりも偉大であった。それが長嶋茂雄にとっては最大の悦びであり、と同時に最大の不幸だったのである』

 いまこそ個人レベルで「長嶋茂雄」という命題を考えてもいいのでは、と冒頭に書いたのは、つまるところその不幸を我々自身がしっかり認識し、検証し、同じ不幸を繰り返さない為である。

 「長嶋茂雄」には功罪相半ばという側面があると思うが、それを絞り尽くしてきた我々には同時に責任を持って消化する責務もある。その当たり前の事実と礼儀を「長嶋茂雄」を免罪符に変えて素通りするべきではない、と思うのだ。

 「長嶋茂雄」という命題は、「長嶋茂雄」という恩恵に浸かりきってきたこの国の野球民度に対する、大きな認定試験なのである。彼の時代を知らない一介の野球好きは、そんな風に思うのだ。



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