月の輪通信 日々の想い
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2004年08月22日(日) |
世代交代のメカニズム |
23日、24日は地蔵盆。 工房には小さな古いお地蔵さんがあって、毎年この時期になると、子どもたちの名前を書いた提灯に火をともし、お菓子や果物をお供えし、お寺さんに来ていただいて地蔵盆会を行う。 今は家族だけでごくごくこじんまりと行う行事だが、父さんが子供の頃には町内の子どもたちがこぞってやってきて、いろんな出し物をしたりフォークダンスを踊ったり、とてもにぎやかだったのだそうだ。 幼い頃に地蔵盆の経験のない私に、懐かしそうに語る父さんがちょっとうらやましかったりする。
お地蔵さんのお堂をきれいに掃除し、提灯のコードを張る。うちの子達やいとこたちの名前の入った赤い提灯をパリパリ開いて、コードにかける。新しい赤白の前掛けを何枚も縫って、子供たちの名前と生まれ年を書いて、お地蔵さんの首にかける。お花やお供えのお菓子を買いに回り、お線香立てやお佛花用の花入れをきれいにする。 毎年なぜだかこれらの準備は父さんの役と決まっていて、忙しい仕事の合間に買い物に行ったり、お掃除をしたりとばたばた走り回る。 「いつから、これは父さんの役なの?」と聞いたら、 「10歳ごろからずーっとやってるね。」との答え。 「じゃぁ、そろそろ息子たちに代わってもらわなあかんね。」 「でも、この時期は毎年、どの子もそろそろ夏休みの宿題に追われている時期だしね。」 なんとなく、子どもたちが小さい頃から、「子供たちへのサービス」とでもいうような感じで、大人たちが準備を整え、お菓子を用意して迎えていたうちの地蔵盆。本来はちょっと大きくなった子ども達が順番に小さい子達のために準備を手伝い、大人になって受け継いでいく、そういう行事だったのだろうなと気づく。 「オニイは今さっき暇そうにしてたから、呼んで来ようか。高いところの提灯は私よりオニイのほうが手が届くかも。」 そんな事を言っているうちにアプコがぴゅーっと走って帰って、いぶかしげな顔のオニイを引っ張ってくる。 「お忙しいのは承知しておりますが、ちょっと手伝っていってよね。」 提灯要員、一名確保。
小さい頃は大きいお兄ちゃんお姉ちゃんたちに世話をしてもらい、大きくなったら今度は小さい子達の面倒を見るという世代交代のシステムが、昔はもうちょっとしっかり機能していたのだろうなぁ。 私達が子供の頃には、たとえば夏休みのラジオ体操なら、どこかの中学生のお兄ちゃんがラジオを持ってきてくれ、前でお手本の体操をして、出席のはんこを押してくれた。 今、うちの地域の子ども会では、小学生のお母さんたちが一手に企画や準備を引き受け、子ども達を楽しませてくれるが、その子ども達は中学になるとぱったりと地域のお祭りや奉仕作業には加わらなくなる。 子ども達にとって地域の行事は大人たちが準備してくれて遊ばせてくれるものになり、自分達が準備したり運営に参加したりするものではなくなってしまった。
たとえば剣道の稽古。 普段の稽古では、中学生は稽古前に小学生達の掃除の監督をし、整列させ、竹刀の不備や着装の乱れを直してやる。大人の先生方に混じって、中学生の子達は小学生の小さい子達の稽古を受けてやる側に回る。低学年の子達の力量に合わせて、ひょろひょろの面や小手や胴をひたすら受けてやる。ちょっと腰を屈めるようにして受けるのだが、時々初心者の的外れな胴や小手を防具の隙間の生身で受けて、痛い思いをしたりもするようだ。 それがひとしきり終わってから、今度は自分達が大人の先生方に稽古をつけてもらう。 小さい子達は先輩達を憧れを持って眺め、自分がその年齢になったら今度は自分が小さい子達の稽古の相手をする。そういうシステムが子どもたちの道場の運営の大きな助けになっていたのだろうと思う。 ところが、最近中学生になるとパタパタと道場をやめる子が増えた。 塾があるとか、学校の部活がいそがしいとか、仕方のない事情もいろいろあるのだろう。辞めるまでも行かなくても、「試験前だから休み」とか「ちょっとしんどいから休み」とか、自分の都合で稽古にでないことも増える。 「大きい子が小さい子の面倒をみる。」「面倒を見てもらって育った子が大きくなったら、また下の子たちの面倒を見る。」そういう、先輩後輩の輪が中学に上がるところでぷっつりと切れる。
今年、アプコの幼稚園の父母会は存亡の危機にあった。 いつもなら年度始めの行事の準備が始まっている頃なのに、まだ本部役員のなり手がない。本部が決まらないと子どもたちが楽しみにしている夏祭りやバザーもなしになる可能性がでてくる。「楽しい行事がなくなるのは困るわ」といいながら、誰も役員にはなりたがらない。わが子がお祭りを楽しめないのは困るけど、自分はお手伝いはしたくないという人が増えたのだろうか。以前の役員経験者からは「あんなに一生懸命お世話してきたのに、引継ぎ手がないなんて嫌になる」とため息が出た。 結局、どういう経緯かは知らないけれど、なんとかかんとか、今年の本部役員さんたちは決まり、夏祭りは無事開かれたが、当日リーダーとなって走り回っていた役員さんたちの中には、昨年度や一昨年度の役員経験者の顔がいくつも見られた。「なり手がないなら仕方がないなぁ」と頼み込まれて再度役を引き受けてくださった方も多かったのだろう。気の毒だなぁと思う。 まだ一度も役に当たってない人もたくさんいるだろうに・・・。
それまで散々、先輩達のお世話を受けて楽しませてもらってきたのに、いざ自分達がお世話する立場になると自分の都合を優先させて抜けてしまう。「人のお世話をするばかりで自分が楽しめないから」と不満の声があがる。 そういうのって、なんだかいやだなぁと思う。 誰かに世話してもらって楽しませてもらったら、一度は自分もお世話する側に回らなくては・・・。 そういう気持ちが長く続く行事や伝統を支える心棒になる。 個人の事情を優先させて、お世話する立場になる事を用心深く避け、美味しいところだけつまみ食いしていく風潮では、地域の行事や世代交代のネットワーク作りはどんどん難しくだろう。
提灯のコードに一つ一つ電球を取り付け、赤い提灯をともす。 お地蔵さんは小さい子どもらの守り神。 提灯や前掛けに子どもらの名前を記すのは、大事な次代を担う子どもたちの健やかな成長を祈るため。 お下がりのお菓子の袋をもらってはしゃいでいた子どもが、大きくなって今度は提灯をつるす手伝いをする。 世代交代のメカニズムは、こんな小さなところから少しづつ組み立てられていくのではないだろうか。
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