月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2004年08月21日(土) 育児の記録

この間、里帰りしていたとき、母が、「こんなものが出てきたよ」と古いメモ書きを見せてくれた。
小さな大学ノートの切れ端に鉛筆書きの私の筆跡。
「よくまぁ、こんなものとっておいたねぇ」と呆れながら、懐かしい文字を読む。

アユコを出産したとき、オニイはまだ1歳7ヶ月。
切迫流産のための入院期間に、父さんの中国出張旅行が重なってしまい、留守中のオニイの世話を実家の母が引き受けてくれた。
それまで母親の手元を離れた事がないよちよち歩きのちびっ子を、母は実家まで連れて帰って面倒を見てくれた。
当時、オニイは偏食がきつく、野菜はほとんど食べない。果物も食べられるものはごくごく限られている。まだまだスプーンも上手にに使えなくて、手づかみのほうが速いくらい。
「この子は私の手元を離れたら、いったい何を食べるんだろう」
預ける私が不安になるくらいだから、さぞかし母は悪戦苦闘して慣れない幼児食をこしらえてくれたのだろう。
母が台所の引き出しから見つけ出したのは、そのとき私が母に託したオニイの「食べられるものリスト」だった。

食べられる野菜の種類や切り方、調理法まで指定した細かなお子様メニューリスト。末尾には「食後は必ず歯磨きをさせてください。寝る前に甘いものは飲ませないで下さい。食事は手づかみでもできるだけ自分でたべさせるようにしています。飴やチョコレートはあたえないで下さい。」と、生活上の細かな注意が書き添えられている。
今の我が家の大雑把育児からは考えられないほどの綿密な指令書を読み返して、ため息をつく。思えば第一子であるオニイの子育てには、こんなに神経質に肌理細やかな神経を使っていたのだなぁ。
「そんなこと、構っちゃいられない」と、どんどんややこしい事は端折って大雑把になっていった我が家の育児の歴史を気恥ずかしく振り返る。
それにしても、日頃一緒に暮らしていない幼児をぽんと預けられて、こんな偉そうな指令書を娘から受け取った母の思いはどんなだっただろう。3人の子を育てて、育児の大先輩であった母になんとまぁ、大層な失礼千万な指令を強いたものである。
「この子の事は、母親である私でなくちゃ駄目なのよ。」という気負いや、初めて我が子を人に預けるという事に対する不安で、はちきれそうになっていたあの日の私。
子育てに厳しいルールや高いハードルを自ら設けて、「この子をきちんと育てる」という事に肩肘を張って必死で子育てしていたあの日の息詰まるような空気が痛いように感じられる。

次々に下の子達が生まれて、子育てが自分の書いた設計図どおりには進んではいかない事を何度も何度も経験して、我が家の子育てはどんどんシンプルになった。
今、ニンジンが食べられなくても他の物で栄養分を補えればそれでよし。
今、偏食が多くても3年先に食べられる食品が増えていればそれでよし。
今、上手に「おしっこ」が言えなくても、自分でぬれたパンツを洗濯機に入れられるようになればさしあたりはそれでよし。
子どもが子どものペースで、自分で目の前のハードルを越えられるようになればそれでいい。
そんなふうに、子ども自身の成長する力を信頼して待つという育児観を私は子どもたちとの生活を通じて、少しずつ習得していったように思う。

春にママになったばかりの義妹のTちゃんが、いやに熱心に私の古いメモ書き
を読んでいた。
新米ママのTちゃんにとっては、一年先の育児の手引きとして先輩ママの育児の記録に興味がわくのは当然のこと。
でもねぇ、Tちゃん。
そんな神経質に肩肘張った育児メモ、生真面目にお手本にしないでね。
あくまでも日々の子育ての道標になってくれるのは、あなたの目の前にいる我が子の毎日の成長そのもの。
その事に気づくのに私は10年かかった。
親もまた、自分なりのペースで成長していくものだという事を嬉しく思う。


月の輪 |MAILHomePage

My追加