月の輪通信 日々の想い
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からりと晴れていると思ったら、ぱーっと曇って通り雨。 「わーっ、降ってきたよーっ!」 と叫ぶと、2階の子供部屋でうだうだしていた男の子たちがバタバタッとベランダへ出て、洗濯物を取り込んでくれる。 一階のテラスに干したバスタオルは、アユコとアプコがわっしょいわっしょいと部屋へ入れてくれる。 最近では気が向けば、取り込んだ洗濯物を部屋干し態勢にかけなおしてくれるようになって母大助かり。 子供たちが一日うちでごろごろしている夏休みは、とりあえず、お洗濯取り込み要員だけは取り揃えてある。 これが普段の昼間なら、私一人で一階と2階をばたばた往復して大汗をかくところ。 「たくさん子ども、産んどいてよかったわぁ。」 なんていうと、「産んどいてよかったのは、洗濯物取り込むときだけ?」とツッコミが入る。 「さし当たってはそのくらいかなぁ。」と憎まれ口を叩くけれど、ホントはほかにもいっぱい助かってるよ。
我が家のベランダには屋根がないので、ちょっとした雨でもすぐに洗濯物はぬれてしまう。だから一日にたびたび通り雨が降ったりすると、主婦は洗濯物を外に出したり、慌てて取り込んだりしているうちに、あっという間に一日がくれてしまう。 怪しいお天気なら、最初から戸外に干すのはあきらめてさっさと部屋干しにするのだけれど、ちょっとでもお日様が出てくると部屋の中に湿った洗濯物を吊っておくのがもったいない気がして、様子を見ながら外へ干しなおしたりする。 そんなときに限って、再び大粒の通り雨があったりして、またばたばたとベランダへ駆け上がる。 何やってんだかなぁ。 最初っから部屋の中に干しときゃいいのに、出したり入れたり、無駄な時間と労力使ってるなぁ。 主婦の仕事ってほんとくだらない仕事の繰り返しだなぁなんて、妙にむなしい気もちが残っちゃったりする。
部屋の中でじわじわ乾かしたタオルと、明るい太陽にたった30分でもさらして乾いたタオルは、使った感じがぜんぜん違う。 雲間から覗いた明るい日差しを、ちょっとでもたくさん取り込んでおきたい。そのために、わずかな晴れ間にも洗濯物を戸外に出そうとする主婦の貪欲。 好天気にお布団を干しそこなったり、珍しく涼しい気持ちのいい朝にお寝坊して朝の家事を片付け損なったり、そんな些細な事で主婦がとっても損した気分になってしまうのはなぜだろう。 幼い子どもが、せっかく見つけた大きな水たまりにジャブジャブ入ってみないではいられない気持ち。 せっかくの暑い夏の日に、水遊びをせずにはいられない、あの差し迫ったようなわくわくする気持ち。 洗濯干しに追われる主婦の欲深は、そういう幼い子たちのこみ上げるような気持ちにどこか似ている。
この間、実家へ里帰りしていたときの事。 子どもたちの洗濯物を干しに出たら、バスタオルが何枚か先に干してあった。小さい赤ちゃんを連れて帰ってきた義妹のTちゃんが干したものだろう。細いワイヤーの物干しハンガーに、ちょうど背中からショールをかけるようにバスタオルがかけられ、ちょうど襟に当たるところできちんと洗濯バサミがとめてある。 あ、変わった干し方だなと思った。 うちではバスタオルは、たいてい1階のベランダの手すりかバスタオル専用の物干しに二つ折りに広げて干す。場所がないときには、ハンガーにタオルの短いほうの辺で洗濯バサミを二つ止め、垂れ幕のようにだらーっと広げて干す。 東京のもう一人の義妹に聞いてみると、バスタオルは物干し竿に直接二つ折りに広げて干すという。 そして、実家の母は、物干し竿に直接干すか、ワイヤーハンガーの底辺にくしゃっとかけて干している模様。 ははぁん、バスタオルの干し方一つとって見ても、その家、その家にやり方ってあるもんだな。お洗濯物の量や、干し場の事情、主婦の癖やら生活環境やら、そんなもので「いつものやり方」は決まってくる。 同じこの家から巣立った子どもが、それぞれ違った空の下で、それぞれのやり方で干したバスタオルを使う。 なんだか面白いなぁと思う。 我が家の子ども達が築く未来の家庭では、どんな風にバスタオルを干すのだろう。
「わー!雨だ!」 と叫ぶと、皆がいっせいに洗濯物を取り入れるために立ち上がってくれるのは、それが主婦のやるべき仕事ではなく、家族みんなの仕事だと感じていてくれるから。 だから、何かの事情で急に降り始めた雨で洗濯物を濡らしてしまったとき、「ごめん、気がつかなかったよ。」という言葉が誰かの口から自然にもれる。 ありがたいなと思う。 たくさんたくさんの布オムツやお食事エプロンを洗ってやった子どもたちが、今ではこんなに母の助けになってくれる。 たたんで重ねた布オムツに感じたお日様の匂いを、はや大人サイズになりつつあるTシャツや洗いさらしたジーンズに感じる今の私。 子育てという長い長い山道の幾つ目かの峠を、また一つ超えつつあるようだ。
近いうちに、毎日日光にさらされて、脆く色あせた洗濯バサミを一掃して、新品に替えようと思う。 当たり前に続いていく当たり前の日々を、パチンパチンと新しい洗濯バサミで挟んでみよう。 新しい風が吹くかもしれない。
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