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2023年11月16日(木)
* 5〜6歳の頃だったか! 当時、浪花屋が煎餅の屑を集めて似ていた柿の種から逆転の発想から 「柿の種として発売したところ、御茶、コーヒーのツマミとして爆発的に 大当たりした。その女将が母親の同級生。母親は、そのことを常日頃から、 自慢していた。大柄の精力絶倫の関西風のオバサンというところか。 長岡には、旅館の女将とか、家具屋の女将、今どきでいう遣り手の典型的な 隠れボス的な存在が多々、存在していた。その後、その無知をつかれて、 大手の配下になったが、それでも、大当たりして現在では国民食とまで認定 されるスナックとなっている。…その時に母が褒めると、 <当たったら当たっても、製造が間に合わずに、そりゃ大変。その上に… 人手も、お金も足りないし、他の煎餅屋の模造が次々と出てくるし、商品 登録もしてなかったし、良いことばかりじゃないしね!」
海外ツアーには、チップ代わりに柿の種が喜ばれると聞いていた。 成る程、その効果は抜群。今では亀田の柿の種が、多く見られるが、それでも、 元祖・浪速屋の柿の種は、今でも売場の一角を占めている。
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