2023年08月17日(木)
* 御盆も終った さて初秋に入ろうとしている現在、まずはロシア崩壊の序曲である。 これに中国が入るから、不安定度が高まる一方。資源という背景が無いが故に、 これは厳しい。今さらアメリカへの依存度を高めても、そのベースが無い。 あるのは地政学的縦長の立地。まあ厳しいのは間違いない。太平洋の水資源と、 点在する島国の占領しにくい、複雑な島国だが… その中で、どうも資源が多々 有るようだが、まだ表立ってない。水資源、観光資源は豊富のようだが! 世界は、AIが表だってきたが、さて如何だろう? 200数十年の鎖国の蓄積は、 並大抵ではないようだが、その内省は如何発揮されてくるのか…? 人生、最終年に近づいてきて気づくことは何にも知らない己が知識と知恵。 それなりに、書きだめてはきたが、それが如何したの問題に突き当たってきた。 無駄だったと言うわけではないが、それでも面白かったことは確かである。
・・・・・・ 7823,閑話小題 〜ロシア・ウクライナ戦争の落としどころは? 2022年08月17日(水) * 今日は、次男夫婦の里帰り コロナ禍騒ぎから遠のいていた、次男夫婦の里返りが、今年は今日という。 今のところ、ただ一人の孫の顔をみることになる。 私と家内は、なぜか・・・ それが当然のように愛情過多で育てきた。孫も、周囲からの愛情は多い ようだ。まずは、自宅で休んだ後で、お店は殿町にある小島屋蕎麦屋の予定。 ーー * ロシアの敗戦の納めどころ 当然の帰結としてロシアの敗戦が決定的になろうとしているが、長引きほど、 国力が減退するロシアには、如何ともし難い事態だろう。8月に入ってからの YouTubeには、新たな武器の展示会の様相である。そして西側の作成が多いこと もが圧倒的有利の様相になっている。国家対国家の争いでは、その実績から、 西側が圧倒的経験を持つ。地域戦、情報戦では、ロシア側になるが、今度の 戦争はウクライナになる。あとは、大陸弾道ミサイルの使用か否かの時期。 想像を絶した本格的ミサイル攻撃も想定が必要だろう! 下手をしようがしまいが可能性がゼロとはいえないのが現時点の大問題。 どこかでマサカと思われているようだが、そうはいかないのが、人間の悲しさ、 一番やりやすそうなのが、世界にとって、害にも薬にもならない脳天気の日本・・・
・・・・・・ 7489,閑話小題 〜娑婆娑婆… 2021年08月17日(火)
* ロシアのスターリンも、ナチのヒットラーも最初は… そろそろ最期の総括に入る時節で想うことは、最初は、あれほど残酷無比で なかったのが、戦局が厳しくなるにつれて疑い深くなり、粛清を繰返す中で、 凡庸な独裁者に変っていった。現在のロシア、中国の独裁者も、似た道を歩もう としている。身内の敵を一括りにして、収容所に隔離をして、奴隷化をして、 無料の奴隷を確保して、財源にする。こういう決断が可能になるため、政治を 握るものとして、断行可能な利点がある。最近、表向きは変われど、7割方は 実質的奴隷層が存在している。イギリスの労働階級である。 ここに一度、 陥ると回復が難しい。中国は、猛勉強をして共産党員になる道が開かれている。 日本は、東大、京大、早慶に好成績で卒業し、有名会社を卒業するか、高級 公務員などのコースが容易されているが、これも確率が低い。 権力者は、独裁が夢! インドなどは、いや欧米もか、肌の色そのままが 社会的階級を決めている。もっとも、日本でも、そう。住む場所が上の手、 下町があり、江戸時代から、階級が決定づけられている。 初対面で、まずは住む街を聞き、両親の職業と、その階層を聞きだす。 それが面倒ならば、ブランド品を身に付け、言葉使い方に注意する。 私などの地方出身者が上京して、実際に住んでみて、驚かされるのが、 日本的カースト制度がリアルなこと。天皇様は皇居にお住まいになり、外出は パトカーで優先されて… そして、その周辺は、皇室利権を少しでも肖ろうと… 僧侶からして純粋に、この時代にそぐわないと体制を変えようにも、千、二千年かけて 造られた奴隷層ほど頭が固いため、何ら不思議と思わない。 江戸時代までは戸籍かわりの人別帳を握り、仏の名を利用して好き放題! …狙いは人の好い、檀家の財産。そして残香の後家狙い。 功徳とは、よく言ったもの。
・・・・・・ 7095,閑話小題 〜中国に何やら異変が? 2020年08月17日(月) * コロナ禍以降、中国が変! アメリカのトランプが大統領になって変なのは、今さらだが、中国も右倣え。 緩和地帯の香港の実質併合である。これで、世界を敵にまわしたようなもの。 トラの再選の画策を図ったことと、コロナ禍の責任から目を逸らす画策もある! コロナ禍など様ざまな憶測があるが、それに耐えうる国力が有ろうはずがない! 武漢の市場から発生源した事実。怪しいといえばイラン。ナンバー2を殺され、 その直後に、ウクライナ航空がイランに撃ち落とされた。 イスラムには、 ≪目には目を…>の相討ち思想が基礎にある。世界の闇に魑魅妙霊が多く住む。
このコロナ禍も、30年モノの初期段階の一つか…? とすると、デンデバラ バラで、何もかもをウチ捨てて、小高い山に逃げないと! とにかく人間には、 『正常性バイアス』が強くヘバリついている。 大災害など未経験の事態に 遭遇した場合、この働きが過剰反応し、脳が処理できなくなること。 今回の コロナ禍の責任は、中国共産党の解体が妥当か! でも、香港併合は中国への 信頼を粉々にした。その上に、東シナ海に、人工島をつくり、軍事基地にした。 もっとも、欧州各国は、アフリカ、中近東、南北アメリカで、細菌を持ちこみ、 虐殺をした。それに比れば、可愛いものだが… その中で、戦後75年をかけて、日本が骨抜きにされた! このコロナ禍、単なるスポットであればよいが!
・・・・・・ 6728,読書日記 〜『サードプレス』 ー1 2019年08月17日(土) <『サードプレイス』―― コミュニティの核になる 「とびきり居心地よい場所」レイ・オルデンバーグ著> * そこは、竜宮城のような解放区 何故に、この本を知らなかったのか、読まなかったのか? 誰もが持っている行きつけの店と、お気に入りの疑似家族世界。東京、金沢、 新潟、地元の長岡でも、まず出来るのが酒友。そして行き付けの店。30〜60歳 までは、週に一度は居酒屋通い。その先が「サードプレス」という心の憂さの 捨てどころ。家と会社が第1、第2の居場所なら、そこはサードプレス。 そこは主のオヤジかママが存在する平等な解放区。この手の話題は尽きること なく底なしに… 酒に飲まれた半アル中が集う魔界でもある。その最たるのが 新宿歌舞伎町。ママもパパも、客の8〜9割はガンか糖尿の壮絶死が待つ世界。 これはタブーに立入ったテーマ。敢えて書くのは男の沽券にかかわる。 が、 呑み助からしたら、一番興味をそそる魔界。恐ろしくも、哀しい話題が、巷に 転がっている。欧米のリッチ層に、バカンスの習慣がある。日常から離れて、 ひたすらボーッとする。 そこは現象世界から離れた真実の世界。 その一連は、パックとして区切られる。それぞれ、その世界を持つことで、 ストレスの解消を持つことに。
〜Amazonの内容紹介より〜 ≪居酒屋、カフェ、本屋、図書館 …情報・意見交換の場、地域活動の拠点と して機能する〈サードプレイス〉の概念を社会学の知見から多角的に論じた書。
第一の家、第二の職場とともに、個人の生活を支える場所として都市社会学が 着目する〈サードプレイス〉。そこでは人は家庭や職場での役割から解放され、 一個人としてくつろげる。 著者オルデンバーグが、産業化‐効率化‐合理化を進めてきたアメリカ社会と、 そのもとに展開されてきた都市計画が生んだ人々の孤独の問題を批判しつつ、 地域社会を再び活気づけるための〈サードプレイス〉として注目するのが、 地域に根ざし、長く人々に愛されつづけている地元の飲食店だ。 「見知らぬ者どうしの気楽で面白い混交」を創り出し、情報交換・意見交換の 場所、地域の活動拠点としても機能する、地元の飲食店や個人商店ならではの 特質が社会学の知見をもとに照らし出される。
第I部では、〈サードプイレス〉の機能、特徴、物理的な条件が詳細に解説され、 第II部では、イギリスのパブやフランスのカフェなどの具体例から、文化や 国民性が生み出す〈サードプレイス〉のヴァリエーションが紹介される。 第III部では、社会・政治面での〈サードプレイス〉の課題とその解決策が論じ られる。 全編を通じ、オルデンバーグが〈サードプレイス〉に向ける期待は揺るぎない。 そこには長年「とびきり居心地よい場所」に親しみ観察してきた者の実感と、 「コミュニティの問題は住民の力で解決できる」という市民魂がみなぎっている。 店舗設計、都市計画、マーケティング、地域社会づくりの分野に刺激を与え つづけてきた書の待望の邦訳。 ≫ ― ▼ 人間の営みには、「遊び、働き、学び」がある。その日常の循環に、 第四の居場所が必要となることは、今さら言うことではない。般若心経を 暗記して、ことあるごとに唱えていれば、それは、「サードプレイス」の 精神状態になる。暗記は無理なら、『南無法蓮華経』でも、『南無阿弥陀仏』 でもよい。没入すれば、そこはサードプレスの世界。 ところで、リタイアを した現在の私め。第一の場が、我が家。第二が、日常の習慣範囲の地元の市内。 第三が、その外? 息苦しくもあり、快適でもあり。 〜つづく ・・・・・・ 6365,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー1 2018年08月17日(金) * 「なじらね?」 お盆の13日、市内に住む兄夫婦と、新たに加わった(兄がいう宇宙人の) 姪と、自宅の居間で定例のお盆の飲み会。 様々な話題が矢継ぎ早に出るが、 兄嫁が、<最近、凝っているのが「長岡弁。『それが面白いのなんの!』>と。 学生生活のため上京をして、まず突き当たったのが地方訛り。当初は 一言一言、話す前に、一度、言葉を呑込んだ後、標準語を選んで話すしかない。 25室のシェアハウスのような寮生全てが地方出身者の割に、方言は少ない。 が、少々の訛りは隠せない。それも、二年も経過するうちに、修正される。 福島、名古屋、滋賀、石川など癖の強い訛りがある出身者たち。 私が先ず、顰蹙を買ったのが、同級生の友人に対して、『御前さ〜!』。 一瞬で、顔色が変わっていた。「御前」は首都圏では目下、それもバカにした 言い方に使用。コマーシャルで漫才家が、相方に『貴様は?』と言って顰蹙を かう場面がある。金沢で、親しみを込めて使う場合が多いが、それと同じ。 地方出身者の言葉が重くなるのは、一度、標準語かどうか、精査するため。 さっそくネットで『長岡弁』で検索すると、限りなく長岡弁が多いのに吃驚。 改めて集中して長岡弁を精査してみたが、ほぼ全部カバーをしてあった。 当時、よほど注意し、苦労したかが窺える。 しかし、配転先の三重、神戸、 金沢の訛りと方言が、若い女性の職場もあって、何とも魅力的に聞こえていた。 それに対して、長岡弁は東北弁に近くて泥臭くて、色気が感じられない。 意外と当人は気づかず使っている若い女性の『俺』。司馬遼太郎の『峠』の 中で河井継之助の口を通して語られる、「おめしゃん」(お前さん)。 〜成るほど、ネットサーフィンでも、調べると面白い! ―― ≪ 【言語学的特徴】 ◉ 長岡弁は新潟県中越地方で使われる方言の総称ですが、新潟県は上・中・下越 +佐渡に大きく分けられ、言語的にも上越は北陸(関西)系の要素が多く含まれ、 下越は東北系の要素が多く含まれます。中越においても魚沼は関東系の要素が 含まれてくるため、長岡弁は越後弁の中核を為すもの。とも言われます。 アクセントは中輪型東京式に準じますが、一部東京式とは異なるアクセント を持つ物があります。 ◉ もう一つの特徴として、古語や文語的な表現に起源を見ることが出来る物が 多いと言うことがあげられます。 発音の特徴として気候・風土条件からか、はっきりとした発音よりこもった発音 が多くまた、短縮したりリエゾンしていると思われる表現も多々見受けられる。
・イとエが曖昧、もしくは逆転する場合もある。 ex:「色鉛筆」=「えろいんぴつ」 ・ダ行、ザ行の音がラ行に変ずる。 ex:「そうだ」=「そうら」、「したけども」=「したがろも」 ・〜〜の物、〜〜と言うような事、その行為と言った話題の対象物を「が」 もしくは「んが」と表現することにより会話中に「がぁ、ンが、が」が多く 含まれ、結果として「ガーガー語」と表現される。≫ ― ▼ SNSが、これまた面白いのがある。 じじ「おい、町長自殺したてや!」 ばば「なにね〜?おおっこの〜、またどうしたこんだてや?」
じじ「わからねぇ、今テレビ見てたまげたこてや」 ばば「ほんね、ば〜かたまげたて〜」
じじ「おれも死んだら楽になるろか・・・」 ばば「おめさん、死むあんは勝手らろも人に迷惑かけるのだけはやめてくれね」
じじ「・・・」 うちのばーちゃんは「何やらせてもダメな人」のことを 「あれは“ずくなし”で」と言っている感じでした。 -- この前、新潟一番でフリーズドライ食品の特集しているときに、堀さんが 「こういうのは、よく「ノメシこき」といいますけど・・・。」といってた。
・・・・・・ 4161, 節目時に何をしていたか ー1 2012年08月17日(金) ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。 自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも 代え難い財産である。 ー まずは前半から ー ・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。 20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の 住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。 成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。 ・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、 異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって しまうという。 ・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの 術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。 ・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が 粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。 ・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。 ・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・ 5998,「考えるとは、まずは、ひとりになること」 2017年08月17日
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