堀井On-Line



1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条

2004年05月23日(日)

{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。
働くとは、人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきか、
の多くの示唆が含まれている。

耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。

道としているところがよい。理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていく
べし、ということだろう。

1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。

6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも
耐え得る雅量あるべし。

11.みだりに難きを責むるな。ただし、泣いて責むべき場合あり。
12.自分がまず研究して確信を得よ。
13.金銭に恬淡たるべし。
14.部下の人事に熱心なれ。人の世話はよくしてやれ。
15.その労するところを知り、よく、これをねぎらえ。

16.寡黙重厚。従容自若。眼眸厳正。挙止端正。
17.よく休ませ得る者は、よく働かせ得るものなり。
18.人のことをわがこと程に思え。
19.努めて失意逆境にある人をひきたてよ。
20.自他の職域を守り、これを尊重せよ。

21.知らざることは、あくまで知らずとなせ。
22.少なく言い、多く行え。
23.絶えず研究して、一歩先んぜよ。
24.小疵をもって大功を没すべからず。
25.部下に威張るな。部下の機嫌をとるな。
  至誠一貫、正々堂々。

26.外柔内剛、柔らかくとも一節あれ。
27.事をなすには、腹をきめてかかれ。やるべきときには、断乎としてやれ。
28.上に立つ者は、部下をして己の最大の保護者たることを感ぜしめよ。
29.自分一人にて事をするな。任せて人を使え。
 ただし、監督を怠らば、仕事をする人に張り合いがなくなる。
30.自然に導くを得場、上の上なり。
31.部下と能力を競うな。
32.象徴を高く掲げ、衆心一致、精神の統一をはかれ。
 中心の引力はあらゆる手段をつくして強固ならしむべし。

 会社組織だけでなく 、家庭や各種グループのリーダーに参考になる
メッセージが多くある。

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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩

 何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。
    魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした
    私の解説など入らない!
       
       
      落ちこぼれ
                      茨城 のり子

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げになって
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意志であれ
           
               
               
               
               花ゲリラ
                        茨城 のり子

あの時 あなたは こうおっしゃった
なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる
私を調整してくれた大切な一言でした
そんなこと言ったかしら ひゃ 忘れた

あなたが 或る日或る時 そう言ったの
知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように
ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない
そんな気障(きざ)なこと言ったかしら

それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ
ポカンと忘れた百舌(もず)である
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか

だからこそ
生きられる
千年前の恋唄も 七百年前の物語も
遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも

どこかに花ゲリラでもいるのか
ポケットに種(たね)しのばせて何食わぬ顔
あちらでパラリ こちらでリラパー
へんなところに異種の花 咲かせる
  

........................

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


        ・・・・・・・・・・・

        根府川の海

        根府川
       東海道の小駅
       赤いカンナの咲いている駅

       たつぷり栄養のある
       大きな花の向うに
       いつもまつさおな海がひろがつていた

       中尉との恋の話をきかされながら
       友と二人こゝを通ったことがあつた

       あふれるような青春を
       リュックにつめこみ
       動員令をポケツトにゆられていつたこともある

       燃えさかる東京をあとに
       ネーブルの花の白かつたふるさとへ
       たどりつくときも
       あなたは在つた

       丈高いカンナの花よ
       おだやかな相模の海よ

       沖に光る波のひとひら
       あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月
       風船のように消えた
       無知で純粋で徒労だつた歳月
       うしなわれたたつた一つの海賊箱

       ほつそりと
       蒼く
       国をだきしめて
       眉をあげていた
       菜ツパ服時代の小さいあたしを
       根府川の海よ
       忘れはしないだろう?

       女の年輪をましながら
       ふたゝび私は通過する
       あれから八年
       ひたすらに不敵なこゝろを育て

       海よ

       あなたのように
       あらぬ方を眺めながら……
             

      ・・・・・・・・・・・・

      わたしが一番きれいだったとき

      わたしが一番きれいだったとき
      街々はがらがら崩れていって
      とんでもないところから
      青空なんかが見えたりした

      わたしが一番きれいだったとき
      まわりの人達が沢山死んだ
      工場で 海で 名もない島で
      わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

      わたしが一番きれいだったとき
      だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
      男たちは挙手の礼しか知らなくて
      きれいな眼差だけを残し皆発っていった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの頭はからっぽで
      わたしの心はかたくなで
      手足ばかりが栗色に光った

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの国は戦争で負けた
      そんな馬鹿なことってあるものか
      ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

      わたしが一番きれいだったとき
      ラジオからはジャズが溢れた
      禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
      わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしはとてもふしあわせ
      わたしはとてもとんちんかん
      わたしはめっぽうさびしかった

      だから決めた できれば長生きすることに
      年取ってから凄く美しい絵を描いた
      フランスのルオー爺さんのように
              ね
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 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」


ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、
それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。

書き続けることが、大事である。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」
といわれても絶対に不可能だ。

しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
後二年近くかかるが。

それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて
それを組み替えればよい。

書いているうちにコツが解ってくる。
新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。

この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を
組み合わせる作業が考えを深める。

内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。

書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。
そうでなくては、続けられない。

今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、
現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが
良く理解できるからだ。

そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。それもギブアンドギブで。

そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。

時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。


参考の為に「テーマ日記」を書き始めて一年  ー1をコピーしておきます。
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「テーマ日記」を書き始めて一年

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。

何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。

気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。

あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。

テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

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  2001年05月23日(水)
 お笑いコーナーの開設

 スナックジョーカー
 去年シルクロードを旅行した時、同行者がかなり知的レベルの高い人達であった。
 旅行中非常に厳しい環境の中で、いつも軽いジョークを飛ばしていた。
 それがいやみも無く気持ちを和らげてくれた。その経験から軽いジョークは
 厳しい人生で軽い安定剤になるものだと、つくずく考えさせられた。
 そのとき日本に帰ったら必ずそのセンスをつけてやろう心に決めた。
 そして数ヶ月間ジョークと駄洒落の本10冊以上を買い求めた。
 初心者のジョーク収集家になってしまった。一人手帳に書いて楽しんでいたが、
 公開も面白いとこのコーナーを開設することにした。
 笑いはその人により千差万別経験により違う。可笑しかったら笑ってください。 
 いつものとうり以前書いた文章をコ ピーしておきます。
    −H1209"笑い"について ー
 笑いというと人生におけるアクセサリーのように考えられるが、
 実際は人間として生きるうえで、もっと根本的な問題を含んでいる。
 苦悩は人間の本質的一大問題である。仏様は、それを"四苦八苦"に分解してみせ、
 その根本的解決策を八正道とした。しかし人間はそのずっと以前に"笑い"を発見していた。
 そして苦悩をやわらげていた。人生は本来、思い通りにいかない、馬鹿げている、
 いやな事が多い。本来あるべき姿との闘争といってよい。これが苦悩となって負担となる!
 そこでユーモア・ジョークを創りあげ、笑いで中和していた。苦悩より生ずる精神のこわばり、
 このこわばりにおかしさが出てくる。これをスピーディーに指摘する。
 人間はスピーディーに不一致を指摘されると、おかしく笑い出す。
 笑いは笑う側から言えば優越感、笑われる側からいえば、その価値の下落、
 及至無化と関係している。われわれは優者に同一化する事により敗者を笑う。
 これが皮肉、悪口による嘲笑でもある。しかしこれは品性の最も低レベルの露出になる。
 皮肉は孤高な笑いでもある。皮肉屋は自らを高くして、自らを神の立場にして、愚者を笑う。
 反対にこの人間の弱さ愚かさに直面しても、これを憎まず受け入れる態度をユーモアという。
 笑われる対照が実はわれわれ自身でもある。
 ユーモアが与える心あたたまる連帯性の源は、この共犯性にある。
 すべって、ころんで怪我をして泣いているのが悲劇であり、その姿を第三者が可笑しくみえ、
 笑ってしまうのが喜劇である。同じ局面でもその立場で全く違ってくる。
 しかし喜劇的側面は少なくとも客観的であり、ロングショットの視点である。
 悲劇的視点はその苦しみしか見えなくなっている。
 という事は苦悩を逆に自ら笑ってしまう事のほうがプラスになる。
 "いつか笑える日がくるさ"とつぶやく事を忘れないなら、その日は駆け足でやってくる。
 笑うから楽しいのである。泣くから悲しいのである。笑いは自ら創りあげるものである。
 この三ヶ月間でジョークを一〇〇、駄洒落を二〇〇、頭の中にセットした。
 しかし、これで相手を笑わせるとなると話が違ってくる。難しいのである。
 当然の事ながら一つの話でも一人の人にとって可笑しいが、もう一人には
 全く馬鹿げている事が多い。その為にはTPOSでネタを変えなくてはならないし、
 それと失敗した時のフォローも考えておかなくてはならない。
 一つのジョークでも一つの"生き物"として自らの中で手入れをしておかなければ相手は
 笑ってはくれない。
 ユーモアは笑いを目的とせず、雰囲気を良くする事を目指し、ジョークは最後の一ひねりに、
 吹き出し笑いを目指す。駄洒落は聞き手に優越感の笑い(話し手を少し馬鹿にさせる)
 を目指すという。この違いだけでもわかっていると笑いに対する知識が全く違ってくるはずだ。

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