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2004年05月22日(土)
資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。 人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。 第二は16世紀の欧州でおきた中世荘園制度から資本主義への脱皮。 三度目は1980年代からおこり現在まで至っているデフレ革命である。 ー情報革命による、コスト削減と一物一価に集約さていくプロセスで 物価は下がり続ける 特に日本は深刻である。 ・安価な労働力を(日本の25〜30分の1)豊富に持つ隣国・中国の輸出供給力がある、 欧州にとっては東欧・旧ロシアが、それに当たる。 ・資産バブルの清算がまだ終わってない 80年代の上昇分の反動が必要になったが、まだ土地の時価総額1500兆円は 名目国内総生産の約三倍、イギリスの一倍に対してまだまだ地価は差がある。 ・デフレ解消にはまだ10年20年以上はかかる。 いやまだまだで今世紀はかかるのだろう。 デフレス・パイラルはまだまだ続くことは間違いはない。 特に地価は日本では、更に半分以下になると予測される。 現在の日本は、戦前の昭和19年か20年の前半の終戦前夜に酷似している。 終戦というより敗戦である。 現在、中国関連とIT関連で少し景気は上向いているように錯覚しそうだが、 実態はまったく違うといってよい。 とくに消費を引っ張ってきた団塊の世代が、社会の中心から外れようとしている。 経済は年齢構成の問題であるというから、日本は特に絶望的である。 以前書いたデフレについてコピーしておきます。 ・・・・・・ ・・・・・・
2003年04月15日(火) 741, デフレと対策 −2
ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。
今の日本はデフレである。 しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。 それが修正過程に入っているだけである。 戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で 世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。
家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円 ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。
世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である! それで恐慌になっても仕方がないことだ。 ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。 政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。 やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。 やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。
先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ 温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。 半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、 低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。 親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。 座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、 この値段に下げたら、お客が殺到した。 それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。 その代わり徹底した合理化を図ったという。 最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。 潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。 こういうのを「高級を高度に切り替える」という。 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店 が好調だと先日このコナーでかいた。 昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくる パックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。 凄い時代である。
http://www.ichinoyu.co.jp/ 以前書いたのをコピーしておきます。
ーーーーーー デフレと対策 ー1 2002年10月01日
現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの 業態の店である。 それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、 現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。
衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。 自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。
落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。 ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。 そうすると落ちてないのが狙い目である。
先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。 マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。 吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。 そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。
先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。 関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。 予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで 迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、 とにかく飽きさせないようにしてあるとか。 社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。 先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。 「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。
何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、 そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。 斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!! (こういうのをベスト・プラクテスという)
客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。 淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。 発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。 今更発狂はできないか??!! (発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを 踏んでる姿) ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
2003年05月22日(木) 778, 私が10歳の頃-1956年
長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。 10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの 店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン) に転居していた。 それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。 「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ! そうするとコツが解るし面白みが出てくる」 そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。 とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。
この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。 一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。 また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。 このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。 また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。
母親が重度のノイローゼーになっていた。 二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。 あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。 医者にも見放されそうであった。 何回も死線を彷徨っていた。 その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。 今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。 母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。 身近で見ていても子供なりに、それが分った。 そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。 死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。 それだけ悩みが深かったことが分る。
商売を続ける事は、すざましいことだ。
・・・・・・・・・・・・・ ーその頃の政治や社会的出来事としては、
日ソ国交回復 参宮線列車転覆の惨事 弥彦神社惨事 砂川基地闘争 メルボルン・オリンピック ーことば(流行語・話題の発言)は 「一億総白痴化」(大宅壮一) 「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」 「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から) 「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から) 「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」 「もはや戦後ではない」(中野好夫)
ーベストセラー 太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞 帝王と墓と民衆 異性ノイローゼ あなたは煙草がやめられる 夜と霧 モゴール族探検記 大菩薩峠 マナスル登頂記 細胞生活
ー音楽ー ・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表) ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三 ・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売) ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん じゃないが ここらは近頃物騒だ ・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売) ・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた ・ここに幸あり(大津美子)(5月発売) ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し ・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売) ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる ・哀愁列車(三橋美智也) ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音 ・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売) ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく ・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売) ・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。 ースポーツとしてはー 第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】 トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。 【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。
第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】 ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】 <オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催> 南半球初のオリンピック開催。 【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5 体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。
ー野球ー セ・リーグ [優勝]巨人 パ・リーグ [優勝]西鉄 第7回日本シリーズ 西鉄 4(●○○○●○)2 巨人 第28回選抜高等学校野球大会 [決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜) 第38回全国高等学校野球選手権大会 [決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)
ー大相撲1ー 1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。 大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。 初場所 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目) 春場所 朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初) 夏場所 若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初) 秋場所 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目) 1956
ー囲碁・将棋ー 囲碁第11期本因坊戦 高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段 <本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。 なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった> 呉・高川十番碁(第4局までは1953年) 呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先) <段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。 第八局で向先相先に打込んだ> 将棋王将戦 升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>
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2002年05月22日(水) 414, サッカー直前の馬鹿話!
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、 開催地のホテルが深刻な?悩みというのを放映していた。
一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な! それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、 落穂拾いの方針に切り替えた。 黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが 有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。
昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、 設備を代理店の言うままに追加投資。 それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。 泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。
何処かの県?の旅館組合の代表が、 この時期に毎年やる他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。 むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを! 普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。 去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。
ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう
・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 2001年05月22日(火) チャレンジ100
60歳までに50回 外側―異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。 ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、 もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事 を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日書き加え た。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ ・06 「34」メキシコ 2001.01 「33]モッロコ 2000.11 「32」パキスタン・中国 2000・06 「31」シリア・ヨルダン・レバノン ・04 「30」ノルウエー 1999・12 29ケニア ・08 「28」イスラエル ・04 「27]]ネパール ・02 「26」北インド 1998・10 「25」 北スペイン ・07 「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12 「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地) ・08 「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) 1996・06 「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット) ・02 「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10 「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ バンジー ジャンップ・ミルフォードサウン) 05 「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)・ 「17」ケニヤ(ナクル湖・ ) 1994・06 「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道) 1993・12 「15」フィジー(コマ島・ ) 1992・11 「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛) 1991・08 「13」カナダ・ロッキーの旅 ・05 「12」香港クルージング 1990・07 「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ) ・04 「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 1989・12 「9」 中国(北京・けいりん・上海) 1988.09 「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス ・06 「7」カナダ・ナイアガラの旅 1987・08 「6」香港の旅 1986・10 「5」ハワイの旅 1983・08 「4」ハワイの旅 1980・08 「3」ハワイの旅 1978・08 「2」アメリカ・商業界 1976・07 「1」欧州30日一周 1967・07
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