堀井On-Line



946, 22世紀への伝言ー読書日記

2003年11月06日(木)

 この人の本は図書館に2ヶ月に一度ぐらいの割合で追加される。
やはり「幸せの宇宙構造」が何ともいって一番である。
しかし他の本も決してまけてはいない内容である。

 平易の文章の中にキラリと光る内容がふんだん含まれている。
難しいことを易しくアッサリと言ってのけているのがよい。
幾つかを書き出してみる。

ーパワー充電法ー
パワーの充電法として別の方法を三つ、教えておきましょう。
・その一。
 人間そのものもパワーをくれるものです。
元気な人、若い娘、よく働く人、動き回る子供、大声で笑う人、
考え方が前向きな人、建設的、肯定的で明るい人、
それに、気力・体力・精神力・意志力などを強く感じさせる人。
そういう人の傍にいるだけで元気になります。
喫茶店やレストランで席を決めるとき、友人もそういう人の近くに
なるべく近づくべきです。
・そのニ。
 室内で充電する方法です。
コンセントから5センチほど(手を広げて)離し、出ている電気を取り込みます。
同時に、「気」が体に流れ込んでいるようにイメージしてください。
・その三。
 空中に「栄養の塊」「エネルギーの塊」があるようにイメージし、それを
木の実を採るように空中から手で掴み取り、口に入れます。
実際にゴクリと飲み込んでください。

ー渦の原理ー
 最初に、この原理は、何故そうなるか分からないということをお伝いしておきます。
ただ事実だけが存在します。
 インスタントコーヒーを用意します。
普通はスプーン一杯のコーヒーをお湯に溶かすわけですが、ここでは1杯半溶します。
ちょっと苦めです。それを飲み、苦味や渋みをよく味わい、覚えていてください。
(2~3杯になると、苦すぎて味の違い分かりません。)

 カップの上2~3cmのところから右手で右回し、らせん状に離していきます。
地殻(地球の中心)から離れるようにまわすのです。
らせんの直径はカップの直径から始まり、5回まわし(らせん状まわし)でカップ
直径の三倍ほどに広げます。
高さは5倍ほどにしてください。
上にいったらそのまま上にエネルギーを投げます。(上に放り投げるように。)
それを5回ほどしてください。ただしきれいならせん状を描くように。
はじめての人は手をらせん状に回すときに、カップに近づいたり遠ざかりしがち
なので、注意しましょう。正しいらせん渦でないときは、味に変わりが出にくいのです。

 さて、らせんでエネルギーを上に飛ばしたあと、飲んでみます。
多分苦味も渋さも、薄くなっています。
「水っぽくなった」というのがほとんどの人の感想。
今度はは反対に、逆回しにしてみてください。
右手で、カップに近づけつつ、らせん状に左回しをしてみます。
苦味や渋みが元の元に戻っているはずです。
「体が余り歓迎したくないエネルギー」は「左回し接近で収束」のようです。
誰がやってもそうなります。

 この「渦の原理」は痛みや体の不調にも使えます。
体のその部分を横にして、らせん渦が地球の中心から離れるように
回すと、痛みや重さが和らぎます。
歯の痛み、頭痛、腹痛、神経痛、リューマチなどに有効です。
「右回し拡散」で悪いエネルギーが空中に放出されるらしいのです。
これをしてから手当てをすると、治療時間が少なくて済みます。
逆に、「右回し収束」は、宇宙的プラスパワーを呼び込むらしい。
疲れている時に元気になったり、体の不調を改善したりするようです。
頭頂部の「百会」のツボにむけて、漏斗状に「右回し収束」をしてください。

 どうも、人体に望ましくないエネルギーは「右回し渦」で離していくと
粒子密度が薄くなり、「左回し渦」で接近させていくとそこに粒子が集まる。
(粒子密度が高くなる)らしく、逆に人体にプラスのエネルギーは「右回し渦」
で接近させると粒子密度が高く(強く)なり、「左回し渦」で離していくと粒子
密度が薄くなるらしい。
私たちが気がついてない何かの原理があるかも知れません。
コマは回転方向によって重さが違うことがあり、物理学者も頭を悩ましているそうだ。

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「22世紀への伝言 」

イライラせず、心穏やかで温かく、幸せで満ち足りているときに、
自分の中の眠っている潜在能力が花開きます。では、どうすれば
“心おだやか”でいられるのか。その方法と実践の為の手引き書。

◆目次より◆
・ 誰でも超能力者
・人生は自分が書いた設計図
・スプーン曲げの方法
・雲消しの術
・若さの秘密
・自分で自分を好きになる


金  額:1,500円  
発行所:弘園社
発行日:1996年2月18日
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572, ある時間の断面ー9  - 2002年11月06日(水)

1968年 9月24日
8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。
9時半に目がさめる。
川崎との待ち合わせに間に合わない。
顔を洗い寮を飛び出る。
タクシーで校庭の通称
4丁目の交差ベンチに行く。
5分の遅れだが、待っていてくれた。
その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。

ヨーロッパに行ってきたという。
「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と
言っていた。そういえば私が紹介したんだっけ?
石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと
彼が言っていた。まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。
吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の
グループの一員だった。

川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。
松村に腹を立てていた。
彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。
川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。
帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。


                  9月25日ー水曜日

また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。
小学生や中学生以下でないか。自分の中の力があるはずなのに
何故流される。この時期一瞬でも大事なはずなのに。

大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。
その後、小作と石川とウエストサイドで話す。
帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。

                 9月26日

朝9時に学校に向け出発。
産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに
行くと、ゼミの武澤先生に会う。
「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう
言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。
途中で出て、図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。
彼の求めていた本がなく、途中で分かれて寮に帰ってくる。
深井もここで変わってきた。

卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。
19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、
いないので私の部屋で一時間位待つ。
結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。
一時間本を読んで夜半の一時に寝る。
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[217] 夫婦別姓 - 2001年11月06日(火)

夫婦別姓について、あるいは行き過ぎた女性の社会参加についても、
如何でもいいとも言ってられなくなった。そうでもないか?
かなりの思い切った男性優位論を掲げた、ユング系の教授の
ホーページが面白い。  
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/contents.html

アメリカに与えられた民主主義で、消化されてない女性の異常な権利
の主張が日本の特質になっているが、それのみならず家庭を崩壊始め
ている。
誰も男の立場で何も言わなかったが、正々と論陣をはった彼に敬意を
表する。

かなり行き過ぎもあるが、どうであれ面白いので、
是非彼のページを覗いて見る価値がある。

すっきりするが、今の日本男子の哀れな姿を彼が教えてくれている。
今の原理主義も全く肯定できないが、今の日本の一部の馬?女を見て
いると、そのとうりと言いたくなる。その連中(テロ)の前でこの馬?
女ーどもに「銃を持って戦ってみろ!」と言いたくなる。

これは旧約聖書の原理の解釈の戦いだ。
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ー林道義ホームページー

  夫婦別姓への疑問

 夫婦別姓を唱える女性は、弁護士や官僚が多いが、彼女達は親が
弁護士や旧家なので、実家の姓が誇りであり、夫と同じ姓にするのが嫌
なのである。「自立した女性」ではなく、実家に寄りかかっているだけだ。
それでいて「家」を否定するのだから、恥をしれといいたくなる。

明治の民法論争は、封建道徳の擁護といった問題ではなく、家の中のこと
に法律を振りかざすことに疑問を感じた人が多かったのではないでしょうか。

工業化がすすめば給料取りが増え、自然に「家」から離れるわけです
から、民法で無理に夫婦中心の小家族にする必要はなかったと思います。
夫婦別姓を唱える人は、大切な物を破壊しようとしています。

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男女共同参画は社会を破壊する

 女性副知事の増加は、男女共同参画法の影響でしょう。
クラス委員長が男子なら副委員長は女子にするというのは、学級会だから
うまく行くのであって、企業や官庁にもちこんだら組織は破滅します。
こういう場合は、フェミニスト団体を背景にした女性が売り込んできます
ので、組織の健全な発展ではなく、破壊をもたらします。
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1 フランス在住の「専業母」より(リヨン在住 Cさん)

 先日、少年バスジャック事件の記事から、先生のホームページを知り、
一気に読ませていただきました。
私は、フランスのリヨン在住の主婦で3人(4才半、3才、8ヵ月)の
子供の専業母をしています。主人はイタリア人です。

 先生のホームページを読み進める間に、何度か思わず拍手をしてしまい
ました。私の、常日頃思っていたことが、解りやすい言葉で書かれていた
からです。漠然と頭の中にあったものが整理されてきた感じがします。

と、どうしても先生に手紙を書きたくなりました。あれもこれもと書いた後
で無理やりつなげた、要点のまとまらないもの(しかも長い!)
になってしまい、無知をさらけ出すようで恥ずかしいですが、
やはり送らせていただきます。

お時間があれば、現役主婦・母の声として読んでいただければ幸いです。


 昨年はじめあたりから、日本で女性の社会進出を叫ぶ人達
(多くは自称フェミニスト?)と専業主婦の間で、論争が起こっている、
という話は耳にしておりましたが、海外におりますので、テレビや誌上で
どのような経緯でどんな論争がなされたのかは、詳しく知りません。

しかし、身近な声の中にも「自立した女性・母親でありたいので、
子供を保育園に入れて仕事を続けることにした。」
「身の回りの世話や育児をすることと引きかえに、夫を束縛し、
夫に依存するような女性にはなりたくない。」
というように、専業主婦そのものを蔑視する気配が感じられました。

私は、彼女らを非難するつもりはありません。
むしろ母親業をするときはマメで、効率よく家事をこなしている例も多く、
見習いたいところがいっぱいです。ただ、私にはこれらの考え方が、
とても視野の狭い、片寄ったものに感じられるのです。

 第一に「専業主婦は自立していない」とは、何をもってそういうので
しょうか?経済的な事にだけ焦点を当てているのでしょうか。同じ
「収入がない」ということで、理由もなく働かない健康な若者と混同されては、
話になりません。

主婦業は持続力、判断力、創造力をいかんなく発揮できる恵まれた仕事だと
思っています。人間が生きていくのに不可欠な「家庭」を取り仕切りることを
一生の仕事として受け入れ、日々を送ることを「自立しているしていない」
などという命題で片付けようとするのはあまりにも矮小な捉え方のように
感じます。

 次に、保育園についてですが、例えば、看護婦など、特殊な仕事の場合や、
経済的にどうしても母親が一家の稼ぎ手として働かなければならない場合
などは保育園の存在は助かると思います。
しかし、先生もおっしゃるように、保育園の拡充(「駅前保育所の増設」
「24時間保育の実現」)などは、一部の女性の利益にしかならない無駄な
ことだと思います。

もし実際にこれが実現して、女性がみな出産後すぐ社会に戻るように
なったら、古い言葉ですが「ゆゆしきこと」だと思います。
保育園で働く保母さんはみんな自分の子供を保育園に預けるのでしょうか?

「自立した女性は、将来、自慢できる母親になるであろう」といいますが、
3才までの子供のその日、その時はどうでもよいのでしょうか?
保育園には専門家がいるとよく言いますが、本当の専門家はどれだけいるで
しょうか?

もし本当の専門家がいれば子供はすべて専門家に預ければいいとでも
言うのでのでしょうか?これは母親の重要性のまったくわかっていない人の
理論です。

子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。
そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見をあおぐ
べきです。
しかし、子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。
そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見を
あおぐべきです。
しかし、この場合はむしろ二の足をふむ人が多いのが現状でしょう。

 そもそも女性には子供を宿し、産み、母乳を出して育てる、
というしくみが備えられています。だから太古から、男性が外に出て、
食物をとり、養ってきたのだと思います。

これは、生きるために効率の良い分業であったのでしょう。
その本来の差(特徴)を無視し、「女性も社会に出て働こう!」
「男女均等の社会を!」「男女差別をなくそう!」と、
何でもかんでも男女同じにしようと見当違いの抗争をするより、

他に考えることや実行していくことは山ほどあると思います。
それも早急に。社会で女性が不当に差別されている例は実在し、
それについては改める必要があると
思いますが、それを口実に(しているとしか思えない)片寄ったフ
ェミニズムを扇動
する人達がいるのは、出産や育児などの「仕事」もはたしつつ、
社会でも活躍したいという女性の邪魔にもなりかねません。
はっきりいって、本当の意味での平等な社会の実現を阻むものだと
思います。

それから、「身の回りの世話や育児をすることと引きかえにで、
夫を束縛し、夫に依存する」というのも、妙な言い替えのような気が
してなりません。

類似した言い替えで「夫は稼いで妻子を養ってやるので妻は家事を
やれというのはおかしい」というのもありますが、どちらも
「役割分担をする」ということが頭にひとかけらも浮かばないので
しょうか?だいたい束縛し依存することなど、
そう簡単にできるものでもありません。

 話はかわりますが、イタリアでよく聞かれる言葉で
"Sempre pronta"という言葉があります。主婦や、特に母親について
使われます。直訳すれば「常に準備が整っていること」ですが、
これはただ「家をきれいにし食事を整えておく」というだけでなく、
「臨機応変に判断し、
必要に応じて速やかに対処する」そして「受け入れる余裕がある」
という意味を持っています。私の好きなイタリア語の一つです。

 主人と結婚する前には、イタリアの女性というと
「個人主義で情熱的で自由奔放で自分の欲望のままに生きる」と
いったイメージがありましたが、踏み込んでみると、
そこには違った女性たちがいました。主人の母もその一人です。

家は埃もなく気持ちよく整えられ、服は洗われアイロンがかけられ、
傷んだものは
繕われ、丁寧に着られています。これだけ家や物事を維持していく
のは大変なことで、毎日ほとんど一日がかりのようです。
でも不思議と悲壮感や倦怠感は感じられません。

自分もきれいでいようと、気持ちの良い服を着てきれいな身の
こなしで家族のために仕事を進める義母はやるべきことをやっている
人だけが持ちうるオーラのようなものに包まれています。
「身じまい」とか「しつらい」という言葉が思い出されました。

生活のすべてが「そうしないと心地悪い」というような確固とした
美意識と家族への愛情に支えられているのです。

 「子供ができて、私は、私の人生からひきずり降ろされた感じがする」
と言った女性がいますが、「そう思っちゃうのか、かわいそうだなあ」
というのが、正直な感想です。
女性(結局男性もですけど)の生きる場所は、社会だけではありません。
外の世界にばかり、自己実現の機会があるわけではないと思います。

 と、読み返すと、何かたいそうなことを述べたてておりますが、
実際には母である
ことはなかなか難しく、これで子供たちは幸せなんだろうか?
と不安になることもしょっちゅう…という三流母です。

 今後も、先生のHPを楽しみにしております。
奥様にもよろしくお伝えください。
私も「主人が待っているから」と帰るくちです。

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