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2003年06月27日(金)
昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。 たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれるという。ところがなかなか現地のその場所がわからない。 普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」というのが当たり前なのに、30分近くも一緒にさがしてくれた。 人品のよい、かなりの人というのは勘でわかったが、こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。 最後にお礼を言おうとしたが、逃げるように帰って行った。 その時ハッとしたのが、「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。さがしている間に何回も何回も「ありがとうございます」といっていたのだ。 「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。 先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが伝わったのだ。 もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。 「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として自分が一番足りなかったのが、「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。 私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。 まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、数千回いっても足りない位だ。 そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちをどれ位持てるかどうかで決まってくるのが歴然としている。 何か修身みたいな話だが、やはり歳をとった為なのか? 「やれる親切は可能な限りする」というのが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り果てた時にあってみて、親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。
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