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2003年03月31日(月)
私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。 その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。
一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、 「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。 そのうち結婚式だけが、「意識のあるうち」に祝福される。 「人生は結婚式で道半ば」ともいう。 それで人生の大半が決定してしまうからだ。 当たりか外れは神のみぞ知るである。 今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより 「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。 以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。 若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。
つぎは葬式である。 本来葬式はお祝いであるべきだ。 その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。 人生の卒業式である。 悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つものだ。 参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。 その厳粛な雰囲気がなんともよい。 その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。 人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。
ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。 それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。 葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。 最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。 その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。 「死んでしまえばお終いよ!」と。
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