堀井On-Line



726, 結婚式で思う

2003年03月31日(月)



 私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。
その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。

 一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、
「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。
そのうち結婚式だけが、「意識のあるうち」に祝福される。
「人生は結婚式で道半ば」ともいう。
それで人生の大半が決定してしまうからだ。
当たりか外れは神のみぞ知るである。
今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより
「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。
以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。
若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。

 つぎは葬式である。
本来葬式はお祝いであるべきだ。
その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。
人生の卒業式である。
悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つものだ。
参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。
その厳粛な雰囲気がなんともよい。
その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。
人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。

ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。
それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。
葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。
最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。
その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。
「死んでしまえばお終いよ!」と。

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