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2002年07月22日(月)
母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。 もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」 をいう。 この言葉は自分の自戒の言葉であり、 常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。
ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。 腐ってしまって、お互い粘粘している。 仕方がないが、もうオカラのような人もいる。
豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。 「3歳では遅すぎる」というソニーの創立者の井深大の本があるが。 私の見るところ、95�佑呂い筍坑広佑呂修糧�疇だ。 もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。
私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。 いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。
そういう自分ももう煮た豆か?
こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。
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