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2002年05月17日(金)
3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。 3年間休み今年から再開とのこと。 高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。
もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。 そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。
受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。 湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。 そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。
長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。 その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、 浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。
先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。 両方とも先生をしていた。 別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。 実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。 それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」
自分には、その先生の悩みが理解できた。 父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、 あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。 丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、 自分にとってタイミングが、ぴったりであった事も確かであった。
親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。 その要素も確かにある。 その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」 もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。
その数年後、両親が亡くなった。 先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、 「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。 やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」 といわれた。
その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越して いかれた。
人生はいろいろある。
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