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2001年12月25日(火)
かなりキワドイ難しい内容だ。これほど危ない内容はテーマに出来ない。 何で?あまりに本質的な内容になるからだ。それは能力の限界の 表現になる。浅い知識の底を見せてしまうからである。 といって、今更という気持ちで書いてみよう。 キリストも仏陀も喩え話の名人だったという。
難しい話も喩え話で一瞬に理解でき、かつ理解させる事が可能になる。 本質を心象風景で、いや心象画でー心的視覚化する事だ。
喩えー易しく噛み砕き、かつ事例に置き換えることか。 喩えのほうが本質より,より中心をついている場合が多いのは何故か?
イソップ話の内容はあまり知らないが、「かなり深い喩え話が含まれている」のではないかと想像できる。神話もその国の潜在意識という。
おとぎ話も昔話もそうだという。ジョークもユーモアも、 庶民の笑いに転化した喩え話が多い。
「暗い子狐」など、自身の心象風景そのものだ。ハワイなどでは出てこない 喩え話である。雪国の特化された生き物だからだ。
喩えはその本質の中心をつかまえてないと、転化できない。 逆にそれさえしっかり把握していれば、可能である。自分の心象風景に 置き換える作業である。そして心象風景の中から、その中心をより 把握させる置き換え作業である。
いずれにしても、自分の理解のためにも喩えを使うことも大事である。 鯰とかーとらえどころのないやつ。ムジナー??とか、動物に喩えるのも面白い。 キリストの「右頬を殴られたら、左頬を出せ」など、キリスト教の教えを 喩えで一言で表現している。
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