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2001年11月06日(火)
夫婦別姓について、あるいは行き過ぎた女性の社会参加についても、 如何でもいいとも言ってられなくなった。そうでもないか? かなりの思い切った男性優位論を掲げた、ユング系の教授の ホーページが面白い。 http://www09.u-page.so-net.ne.jp/ka2/rindou/contents.html
アメリカに与えられた民主主義で、消化されてない女性の異常な権利 の主張が日本の特質になっているが、それのみならず家庭を崩壊始め ている。 誰も男の立場で何も言わなかったが、正々と論陣をはった彼に敬意を 表する。
かなり行き過ぎもあるが、どうであれ面白いので、 是非彼のページを覗いて見る価値がある。
すっきりするが、今の日本男子の哀れな姿を彼が教えてくれている。 今の原理主義も全く肯定できないが、今の日本の一部の馬?女を見て いると、そのとうりと言いたくなる。その連中(テロ)の前でこの馬? 女ーどもに「銃を持って戦ってみろ!」と言いたくなる。
これは旧約聖書の原理の解釈の戦いだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー ー林道義ホームページー
夫婦別姓への疑問
夫婦別姓を唱える女性は、弁護士や官僚が多いが、彼女達は親が 弁護士や旧家なので、実家の姓が誇りであり、夫と同じ姓にするのが嫌 なのである。「自立した女性」ではなく、実家に寄りかかっているだけだ。 それでいて「家」を否定するのだから、恥をしれといいたくなる。
明治の民法論争は、封建道徳の擁護といった問題ではなく、家の中のこと に法律を振りかざすことに疑問を感じた人が多かったのではないでしょうか。
工業化がすすめば給料取りが増え、自然に「家」から離れるわけです から、民法で無理に夫婦中心の小家族にする必要はなかったと思います。 夫婦別姓を唱える人は、大切な物を破壊しようとしています。
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男女共同参画は社会を破壊する
女性副知事の増加は、男女共同参画法の影響でしょう。 クラス委員長が男子なら副委員長は女子にするというのは、学級会だから うまく行くのであって、企業や官庁にもちこんだら組織は破滅します。 こういう場合は、フェミニスト団体を背景にした女性が売り込んできます ので、組織の健全な発展ではなく、破壊をもたらします。 ーーーーーー-------------------------
1 フランス在住の「専業母」より(リヨン在住 Cさん)
先日、少年バスジャック事件の記事から、先生のホームページを知り、 一気に読ませていただきました。 私は、フランスのリヨン在住の主婦で3人(4才半、3才、8ヵ月)の 子供の専業母をしています。主人はイタリア人です。
先生のホームページを読み進める間に、何度か思わず拍手をしてしまい ました。私の、常日頃思っていたことが、解りやすい言葉で書かれていた からです。漠然と頭の中にあったものが整理されてきた感じがします。
と、どうしても先生に手紙を書きたくなりました。あれもこれもと書いた後 で無理やりつなげた、要点のまとまらないもの(しかも長い!) になってしまい、無知をさらけ出すようで恥ずかしいですが、 やはり送らせていただきます。
お時間があれば、現役主婦・母の声として読んでいただければ幸いです。
昨年はじめあたりから、日本で女性の社会進出を叫ぶ人達 (多くは自称フェミニスト?)と専業主婦の間で、論争が起こっている、 という話は耳にしておりましたが、海外におりますので、テレビや誌上で どのような経緯でどんな論争がなされたのかは、詳しく知りません。
しかし、身近な声の中にも「自立した女性・母親でありたいので、 子供を保育園に入れて仕事を続けることにした。」 「身の回りの世話や育児をすることと引きかえに、夫を束縛し、 夫に依存するような女性にはなりたくない。」 というように、専業主婦そのものを蔑視する気配が感じられました。
私は、彼女らを非難するつもりはありません。 むしろ母親業をするときはマメで、効率よく家事をこなしている例も多く、 見習いたいところがいっぱいです。ただ、私にはこれらの考え方が、 とても視野の狭い、片寄ったものに感じられるのです。
第一に「専業主婦は自立していない」とは、何をもってそういうので しょうか?経済的な事にだけ焦点を当てているのでしょうか。同じ 「収入がない」ということで、理由もなく働かない健康な若者と混同されては、 話になりません。
主婦業は持続力、判断力、創造力をいかんなく発揮できる恵まれた仕事だと 思っています。人間が生きていくのに不可欠な「家庭」を取り仕切りることを 一生の仕事として受け入れ、日々を送ることを「自立しているしていない」 などという命題で片付けようとするのはあまりにも矮小な捉え方のように 感じます。
次に、保育園についてですが、例えば、看護婦など、特殊な仕事の場合や、 経済的にどうしても母親が一家の稼ぎ手として働かなければならない場合 などは保育園の存在は助かると思います。 しかし、先生もおっしゃるように、保育園の拡充(「駅前保育所の増設」 「24時間保育の実現」)などは、一部の女性の利益にしかならない無駄な ことだと思います。
もし実際にこれが実現して、女性がみな出産後すぐ社会に戻るように なったら、古い言葉ですが「ゆゆしきこと」だと思います。 保育園で働く保母さんはみんな自分の子供を保育園に預けるのでしょうか?
「自立した女性は、将来、自慢できる母親になるであろう」といいますが、 3才までの子供のその日、その時はどうでもよいのでしょうか? 保育園には専門家がいるとよく言いますが、本当の専門家はどれだけいるで しょうか?
もし本当の専門家がいれば子供はすべて専門家に預ければいいとでも 言うのでのでしょうか?これは母親の重要性のまったくわかっていない人の 理論です。
子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。 そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見をあおぐ べきです。 しかし、子供の専門家は、その母親であるはず(べき)だと思います。 そして必要のある場合は母親(父親)の判断で専門家の意見を あおぐべきです。 しかし、この場合はむしろ二の足をふむ人が多いのが現状でしょう。
そもそも女性には子供を宿し、産み、母乳を出して育てる、 というしくみが備えられています。だから太古から、男性が外に出て、 食物をとり、養ってきたのだと思います。
これは、生きるために効率の良い分業であったのでしょう。 その本来の差(特徴)を無視し、「女性も社会に出て働こう!」 「男女均等の社会を!」「男女差別をなくそう!」と、 何でもかんでも男女同じにしようと見当違いの抗争をするより、
他に考えることや実行していくことは山ほどあると思います。 それも早急に。社会で女性が不当に差別されている例は実在し、 それについては改める必要があると 思いますが、それを口実に(しているとしか思えない)片寄ったフ ェミニズムを扇動 する人達がいるのは、出産や育児などの「仕事」もはたしつつ、 社会でも活躍したいという女性の邪魔にもなりかねません。 はっきりいって、本当の意味での平等な社会の実現を阻むものだと 思います。
それから、「身の回りの世話や育児をすることと引きかえにで、 夫を束縛し、夫に依存する」というのも、妙な言い替えのような気が してなりません。
類似した言い替えで「夫は稼いで妻子を養ってやるので妻は家事を やれというのはおかしい」というのもありますが、どちらも 「役割分担をする」ということが頭にひとかけらも浮かばないので しょうか?だいたい束縛し依存することなど、 そう簡単にできるものでもありません。
話はかわりますが、イタリアでよく聞かれる言葉で "Sempre pronta"という言葉があります。主婦や、特に母親について 使われます。直訳すれば「常に準備が整っていること」ですが、 これはただ「家をきれいにし食事を整えておく」というだけでなく、 「臨機応変に判断し、 必要に応じて速やかに対処する」そして「受け入れる余裕がある」 という意味を持っています。私の好きなイタリア語の一つです。
主人と結婚する前には、イタリアの女性というと 「個人主義で情熱的で自由奔放で自分の欲望のままに生きる」と いったイメージがありましたが、踏み込んでみると、 そこには違った女性たちがいました。主人の母もその一人です。
家は埃もなく気持ちよく整えられ、服は洗われアイロンがかけられ、 傷んだものは 繕われ、丁寧に着られています。これだけ家や物事を維持していく のは大変なことで、毎日ほとんど一日がかりのようです。 でも不思議と悲壮感や倦怠感は感じられません。
自分もきれいでいようと、気持ちの良い服を着てきれいな身の こなしで家族のために仕事を進める義母はやるべきことをやっている 人だけが持ちうるオーラのようなものに包まれています。 「身じまい」とか「しつらい」という言葉が思い出されました。
生活のすべてが「そうしないと心地悪い」というような確固とした 美意識と家族への愛情に支えられているのです。
「子供ができて、私は、私の人生からひきずり降ろされた感じがする」 と言った女性がいますが、「そう思っちゃうのか、かわいそうだなあ」 というのが、正直な感想です。 女性(結局男性もですけど)の生きる場所は、社会だけではありません。 外の世界にばかり、自己実現の機会があるわけではないと思います。
と、読み返すと、何かたいそうなことを述べたてておりますが、 実際には母である ことはなかなか難しく、これで子供たちは幸せなんだろうか? と不安になることもしょっちゅう…という三流母です。
今後も、先生のHPを楽しみにしております。 奥様にもよろしくお伝えください。 私も「主人が待っているから」と帰るくちです。
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