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2001年10月03日(水)
その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだと思う。
その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、
高校を卒業するまでの8年住むことになるが。
衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。
‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’
になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。
ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。そのビルと大手通りが私の遊び場であった。
かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にもかなり可愛がってもらった。
特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。
競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。
また毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。
両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。
倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。
でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたり
して年越しをしていた。 − つづく
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