もんすん日記

2006年11月05日(日) ダライラマ講演会 レポート

行ってきました、宮島大本山大聖院でのダライラマ法王による弥山開創1200年祭講演会
ほんとーに行って良かった。
(そしてせっかくなら休みをとって数日滞在できればなおよかった)
チベット人でさえ「一生に一度会えれば」と願う猊下のお姿を、こんなに簡単に、そしてこんなに近くで拝見できるなんて、つくづく自分の恵まれた環境を思い知りました。
道々、チベット人のグループや、とても痩せた西洋人の尼さんが、大聖院へ向かっているのを見て、この人たちがここにいるということは簡単なことではないのだろう、と思いを巡らせたりしました。

秋の宮島は想像以上の美しさで、この時に来れたこともほんとに幸せ。

さて、会場となった観音堂は、座敷が施主席で、一般参拝席としてそのまわりにパイプ椅子がぐるーっと並べられていました。ここからでも十分近いんだけど、がんばって施主席をとったら良かった。
講演会の内容は「ダライ・ラマ法王に心のよりどころとは何か、そして弥山に関係する仏教とはどのようなものなのか」ということで、主に午前中は「仏教の歴史や学派について」午後は「空を理解する知恵をはぐくむ」「空と縁起について」等々説明されていました。

不勉強で知識の著しく欠ける私には難しい話も多く、途中で居眠りもしてしまったが、特に午後からの「空を理解する知恵」という話は非常に面白く、久々に、ない知恵を絞って考えた。
「空と無は同一でないことを理解する」
「自我はないのだ、という気づきを構築し、確信を自分の中でなじませていく」
「形あるものが存在しているからこそ、その本質が空であることを理解することができる」
等々、大事だと思うことはでっかくメモ書きしたけど、考えれば考えるほどなぞが深まり、頭がキーンとなって脳がひりひりするような感覚。いま読んでる猊下の本のキーワードとリンクすることも多く、「おおーあれは出てきたぞ」とヒットすることもあって興味深かった。

笑えたのが、お客さんは老若男女さまざまな人があったけど、うちと同じく奥さんに連れてこられたとおぼしきおじさんが2−3人ずーっと居眠りしてた。でも天気も良かったし、居眠りも気持ちよいです。

最後の一時間は質疑応答。
すべて施主席からで、一般席まではまわってこなかったけど、聞きたいと思ったことを聞いてくれたお坊さんがあったので、満足。
子供が「どうして手を合わせるの?」という質問に、法王が「こぶしをにぎっていたら人を殴ってしまうでしょう」と言ったのが面白かった。相手に対するリスペクトの意味だそうですが。仏教で手を合わせるときは、中の親指をあわせて空間を作り、決してべたっと手をくっつけてしまわないことも知らなかった私・・・。

「密教において、欲望について祈るのは、利他の考えと矛盾しないか?」(という趣旨だったよう?誤解しているかも)という質問には、翌日の講演で詳しく説明ってことだったので、残念。

そして一番聞きたかったのは
「今日本では虐待やいじめで子供がどんどん殺されている。仏教の教えの入り口にもたつ前に命を断ってしまう彼らに何ができるか」というお坊さんの質問。
残念だったのは、通訳がうまく機能しなかったのか、ぴったりとした答えではなかった点。
多分、日本の今の異常なまでの事態は把握されてなかったんじゃないかな?と思った。

途中混乱はあったけど、チベット語の通訳の方も大変すばらしかったと思います。感謝〜。

一日講演を聞いて思ったのは、猊下がおっしゃったように、仏教は宗教というより「心の科学」だなーということ。そして「哲学」。宗教は真理にいたるための手助け、だから、何教でなくてはいけない、ということはない、という考え方に共感しました。

本当はプレスしか写真を許可されてなかったけど、ダライラマ法王はわざわざ一般席にもよく見えるように二度もみなの前に出てきてくださったよー。
主催者も「仕方ない」って感じで写真を認めてくれました。

添付は、スクリーンに映った法王のお姿
お昼ごはんの古代米がはいったおにぎり
宮島の鹿







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