同じ部活。
同じ幼稚園に通うママ友達。
同じ職場仲間。
「同じ環境に身をおく」と言うことは仲間意識を形成し、部外者には分かりえない思いを共有することで、さらに強い仲間意識を築いていく。
その時々によって、自分が属するカテゴリーは変わっていくのは仕方ないのだけれど、それに伴って、周囲の人間関係が変わっていくのは時として、思いがけない感傷につながることもある。
教習所の研修時代、それぞれ所属する教習所は違えども、指導員になるという共通の目的意識の元、集まった仲間はライバル意識もあったが、それなりに結束も固かった。
それが、それぞれ、あたしのように指導員を辞めたり、結婚したり、環境が変わると、まるで関わったこと自体がなかったかのように、ぷっつりと縁が切れた人は多い。
娘の幼稚園時代、同じ幼稚園に通っていた子のママとは、お互いの生活について事細かに相談しあい、頻繁に行き来していたのに、小学校が別々になると、電話もせず、たまにあたしのいる店に買い物に来ている所に会ったりするくらいで、それでも簡単な挨拶程度で、ほとんど関わることもなくなった。
今の店に勤め始めて丸4年になろうとしているが、その間に何人もの人が新しく仲間入りし、異動や、就職、転職で去っていったが、結局どんなに仲が良くても、いなくなってしまえばそれっきりだ。
共有する空間がなくなってしまったことによって生じる温度差みたいなもので、それまで築いてきた人間関係は希薄になっていき、お互いに何を話していいのか分からなくなってしまう。
全ての人間関係を所有しつづけていくことは困難だ。
去っていく人を見送る潔さがあたしには足りない。
執着は依存。
変わってしまったものは再び同じ形には戻らない。
でも、願わくば、関わったそれぞれの人たちが幸せであるように。
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