娘には「堂々」とか「おっとり」とかよりも、「敏感」とか「怖がり」みたいな形容詞の方がしっくりくる、とつねづね母として感じている。
もっと小さい頃には強い光や大きな音が苦手だった。夜間の対向車のライトも苦手だったし、単なる西日すらまぶしがりドライブも楽じゃない時期もあった。
以前に比べれば、最近はそういう「環境の刺激」には強くなっってきた。しかし彼女が最も敏感に反応するものが依然として存在する。誰あろう、このカーサンである。
娘に限らず、どんなお子さんにとっても、「母」という存在はある意味絶対的なもので、幼児期だけじゃなく大人になってからだって、その呪縛みたいな影響力は存在し続け、おおざっぱに言ってしまえば、それこそ誰にでもまとわりついて離れないものなんだろう、とは思う。良きにつけ悪しきにつけ。カーサン自身にだってずいぶんくっついているぞ。
それにしても、と思うのだ。娘のカーサンに対する注意力というか、ちょっとした変化を感じ取るアンテナの性能のよさというか、ここのところ激しすぎやしないだろうか。
顔色の変化、声色の変化、感じ取るたびに眉をへの字にして「おかあちゃんげんきだの?」続いて「ごめんなちゃいだのーーーー」と毎回泣かれた日にゃあーた。「眉を曇らす」とはまさにああいう表情のことを言うんじゃないの。 ※謝るべき理由もない状況のときには、謝らなくていいんだよ、と諭すと「はーい」とやはりへの字のまま従う。その従い方がなんていうかこう従順というか盲目的というか・・・。カーサンもんのすごい権力を手に入れた気分になる。気分じゃなくて、実際ふるっているんだろうけど。
昨日だって、大きい公園で楽しくおとーさんと滑り台していた。調子に乗ったおとーさんが後ろのお子さんの通行の邪魔になっていたので、カーサン大きめの声でそれを知らせた。途端に娘にこにこが一変、「うわーーーーーー」と泣きながら駆け寄ってきてカーサンの膝にしがみつく。ちちちちがうよ、おとーさんがさ。
寝る間際「きょうはたのちかった」と微笑ましいコメントをつぶやいたと思ったら、「でもおかあちゃんがおこったとおもってないちゃった」と続く。はいはい。すみませんでした。・・・謝ってるじゃないですか(北村弁護士風に)。
カーサン自身もそういうとこのある子どもだったらしいけど、ここまで娘の反応が徹底的だとなんだか不安になってくる。そんなにいつも怒っているかしら。そんなに厳しくしているかしら。いつもおかあさんは怖い顔をしている?足りないのは何、過剰なのは何。
よせばいいのに、夜泣きのついでかなんかのときに「そんなにおかあさんのこと怖い?」と訊いたら「おかあちゃんこわいんだのーー」と泣かれてしまった。言葉にすると決定的になるなあ。ほんと馬鹿だ>自分。「お母さんは娘が大好きだよ」と言葉でも態度でも説明してくっついて寝たけど、娘からの愛情の量には敵わない・・・。愛情表現が少なすぎるのかしら。
確かに嫌がろうがなんだろうが、測定と注射に関しては有無を言わせない。調べたいことがあるとPCに向かってしまって娘の相手がおろそかになる。
そういうカーサン自身常日頃感じている罪悪感みたいなところを、娘の態度でダイレクトに刺激されて不快なのもある。思い当たるフシはある、でも、という状態。例えば娘が活動する半日以上の時間、100%彼女の満足いく相手は出来ないんだよ。カーサンも人間だもの。
深刻に悩む、とまではいかないものの、なんだかなあという気持ちを抱えている今日この頃。幼稚園に行ったりすると、また変化するのだろうか。ついつい4月からの新生活に期待がこもる。
ま、カーサンが発揮してしまう力の塩梅とタイミングについて、ちょっと注意しながらやってみるよ。PCに向かうことについてもね。
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