日記帳

2005年03月17日(木) 先入観に振り回され続ける

定期検診のたびに感じる不快感を、もはやカーサン自分ではどうしようもない。検診日の晩には、夫相手に全てぶちまけ、カーサンの言い分を認めてもらわないことには気が済まないような、ヒステリックな心境になる困ったちゃんだ。

夫は定期検診の現場に居合わせていないので、カーサンからの情報と、かつて彼が直接会ったときの主治医の印象から判断するしかないという、なんというか片手落ちな状況を夫に強いてしまう。夫としては、妻の不平不満に共感を示して家庭内平和を保つ選択肢しかありえない状態。

いかん、少し冷静にならなくては>カーサン。

そもそも、今かかっているところとは別の、ある病院への憧れが強いのだ。仮にTJ医大としよう。全然仮になってないけど。

毎月主治医に渡される糖尿病情報誌みたいな冊子に、その病院の名が頻繁に出てくる。主に「ここでよかった」的なコメントと共に。思春期の患者さんからこうも信頼されているというのは、カーサンとしてはポイントがかなり高い。

もし娘が発症したとき、その病院を選んでいたら、とつい考えてしまうのだ。一番近くのN大に緊急入院したから、そこから流れで系列のN大S病院にかかっているけれど、もっと時間的に猶予があって、情報を選別するだけの余裕があったなら、と。

そしてカーサン「ほめられたい」気持ちが強いのだ。数値がよくなったとき、主治医は特にそういった表現をしなかった。その代わり、数値が悪化したときにはそれをとても強調する。「患者側の責任をちゃんと果たしてくださいよ」としつこく念を押されるようで嫌なのだ。カーサンの考えすぎ、被害妄想的感覚の賜物なんだろうけど。
※と夫にこぼしたら、主治医の指示通りにして数値が悪化したんだから、「スケールが合わないんじゃないですか」って反論すればいいのに、と夫。それが出来れば苦労はない。ケーサツ要らん。

でも患者と医師という立場で、患者はなかなか強くなれない。そこを汲み取ってくれる医師を求めるのは贅沢なんだろうか。技術的には必要充分な指示を与えてくれる、でもそれだけでは不十分と感じるのはわがままなんだろうか。

件の情報誌に「数値だけでなく、精神的負担も同時に解決していくのが本当の糖尿病治療」というような文がある。これを書いた医師はN大でもTJ医大でもないのだが、大きくうなずいてしまうカーサン。

よくよく読み進めると、続いて「医師にかかる10カ条」なるものが挙げられており、その中に「よりよい関係づくりはあなたにも責任があります」。

がーん。そうだ。その通りだ。カーサン痛いトコロを突かれて思わずよろめく。私はその努力をしてきただろうか。否否否。主治医に思いをぶつけたことがあるだろうか。否否否。

こちらがどう感じているのか、言いにくいことだとしても、主治医に伝える努力をしなくては。自分より上位と感じる人物に不満をぶつける。カーサン最も苦手なジャンルだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。

というわけで昨晩、勢いにまかせて主治医にメールを送った。不満ではなく、単なる質問だったけど。

そして今日の夕方、返事が電話で来た。あたたかみを感じられたかと問われればやはり否だが、充分的確な指示ではあった。

いつまでこのギャップがつきまとうのだろうか。どうしてもカーサンは主治医に素直に感謝の気持ちを抱けないのだろうか。

先入観って、ほんとにしつこい。


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