Opportunity knocks
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最近、子供をめぐるいろんな事件があちこちで起こっている。そんな事件の報道をみるたびに気が滅入ってくるのだけど、世の中の人たちはどんな気持ちでこれらの事件を受け止めているのだろうか。わたしは正直いって、ほんとうに気が滅入っている。なんでこんな事件が起こってしまうのか、と多くの人はいうけれど、理由は結構はっきりしているのだ。わかっていながら大人達は(わたしも含めて)なにもしようとしない,あるいは何もできない。気が滅入る本当の理由は、わかっていながらなにもできない自分の無力さにあるのだろう。
もちろん無力だからといって、自分にできることは何もないとは思っていない。 少なくとも自分の子供に対しては責任を負うつもりでいる。子供のやっていることには常に関心を向け、必要とされているときはいつもそばにいようと思っている。でもそれだけじゃだめなんだ。
今回の事件(長崎の事件、稲城市の女児の事件も含めて)はいろんな要素が結合してひとつの形になったものにすぎないと個人的に思う。要するに犯罪へと向かう道が着実にいろんな段階をへて形作られていったということ。例えば誰かから(罪にとわれない)悪意を受けたとする。それはまわりの友達からかもしれない、親からかもしれない。社会からかもしれない。とにかくそのこと自体は法律でさばくことのできない種類のものであったとする。その事自体はささいな悪として見過ごされる。でもそんな些細な悪が大きな悪を作っていく。そして結果、その悪は大きな暴力となって吐き出される。
罪にならない悪を、はたして誰が止めることができるんだろう。何が抑止力になるんだろう。子供の帰宅時間についてまったく関心を払わない親、少女が売った下着を平気で買う大人の男たち、無神経に人を傷つける言葉、少年や少女を助長させ煽り立てるマスコミ、しようもない洋服にブランドという付加価値をつけて高い値段で売る某アパレルメーカー、などなど、言い出せばきりがなくなるが、それらのものを止めるてだてが今の社会にはたしてあるだろうか。
いったいこれから先、どんな社会になっていくのだろうか。そんな社会の中でどのような役割をはたしていけばいいんだろう。 とりあえず考えていこうと思う。何もできなくても考えることはやめないでいこうと思っている。
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