日記

2006年08月21日(月) たまにはオリジを書いたりもするのです



色々と片付けねばならないことありまして。
ちくちく縫ったり、印刷したり。そしたらふと懐かしいもの発見。


こんばんは、せっかくなので気紛れにあげてみました。もえぎです。
おそらくはお客様の九割九分の方が興味のないであろう、オリジナル話です。
なのにどうしてアップするねんと問われましたら。
―…嬉しはずかしいことに、お言葉が頂けたからです。
あんな拙いお話、おぼえていてくださって、本当にありがとうございました。
このお話は、残り一分である、貴方さまに捧げさせて頂きます。
最近『ツンデレ』という言葉を聞くと、
咄嗟に黒髪の騎士さまが思い浮かんでしまいます(笑)
しかし今読み返してみると、肩に力入ってるのがありありと分かるものですね。
でもまあ季節的に夏のお話なので、時期としては丁度良いかもです。
その前に。遅れに遅れまくった、拍手のお返事、させて頂きます。

>八日
・3時の方
この日付けを目にするだけでひたすら地面に額ずきたくなってしまいます。
申し訳ありませんでした。心より、お詫び申し上げます。
せっかく素敵な情報をくださいましたのに。恩を仇でかえすとはこのこと。
エピ3攻略本、監督は関わっていらっしゃるのですね…!
けれど。直接的に、お言葉を賜ることはなくて。なんだか、とても、さみしいです。
サーガが、何をしたかったのか。こういう形についてどう思われるのか。
大人の都合で明らかにすることはできないのでしょうけれど。それでも。
ひたすらに、泣きたくなるほど誠実でいてくださった監督の、お言葉が欲しいです。
現在少々懐が危険なことになっており、購入はやや先のこととなりそうですが。
エピ2と違い。今度は買います。たとえ言葉の欠片であっても、今は欲しいのです。
お言葉、貴重な情報、ありがとうございました(ぺこり)




『いつの日かのサマー・ビューティー計画』

 かぱん、と片手で巧くたまごを割れるとほんのり嬉しい。しかもちょっとおどけた風に、鮮やかに、絵に描いたような手つきでボウルにスリーポイント出来たなら感無量。これで中身が双子だったりしたら、それこそ高天原に神様感謝、な幸福っぷりだろう。
 でも夕立はそんなの望まない。卵に一つまみの塩を放り込んでから、泡立て器でかしゃこしゃゆわしながら、彼はちょっと口の端を上げただけで、それっきり。だって望みようがないもの。

「ねえ、どうするの?」
 今日も今日とてわんぱくじゃじゃ馬、プリズムの機嫌によって時折くっきりと灰色が浮かび上がる黒髪巻き毛が、彼のすぐ横でひょこりと揺れる。薄い真珠の光沢を放つ大きなスカーフが、本日のじゃじゃ馬の騎手らしい。随分と誇り高そうな三角巾。
「いつもと作り方違うみたい」
 興味津々の黒曜石が、ほかほかチキンライス入りのボウルを持ったまま、手元をのぞきこんでくる。そんな大層なものでもないのに、はるはよっぽど気になるらしく、軽く背伸びまでして中身を見ようとする。
 どんなに伸びをしても、夕立の顎あたりが精一杯である彼女の様子に、彼は思わず微苦笑を漏らしてしまう。だからやおら体の向きを変えると、彼の肩口よりやや低い位置から見上げてくる眼差しでもとらえられるように、ボウルをそっと傾けてみせた。もちろん中身は零さないように。
「材料は一緒だよ。でも、確かに今日はいつもと違うんだ」
「うん。だっていつもなら、チキンライスが出来る頃には、もう卵混ぜ終わってるもの」
 出来立てなのをさかんに主張するチキンライスの湯気をほわほわと浴びながら、役割分担もいつもと違ったし…と呟きながらはるは首を傾げ、言葉で問う前に問いかける。
 音のない質問に、彼は少し子供っぽい笑顔を返しただけで、秘密のままフライパンを火にかけた。


 今日のお昼はオムライス。夕立お得意の、オムライス。 
 慣れた手つきで油を引いて、鼻歌まじりに溶いた卵をそそぎこむ。 
 はるも大好きなオムライス。何度も横で手伝ってきたオムライス。
 彼の部屋の、やたらに器具の揃った台所で、ふたり並んで。
 でも今日は?


 じゅう、と元気に油のはねる音がする。とたんに何ともいえず香ばしい、おなかをさんざんちくちく攻撃してくるにおいが周囲に満ちる。今にもくう、と鳴きだしそうなおなかをかかえてフライパンを持つ夕立の側で、はるはぱちりと換気扇のスイッチを入れた。おいしいにおいを出しちゃうのはもったいないけどね、と笑いながらおなかを押さえて。彼女だって戦闘中なのだ。
 じゃあ手短にしないと、と夕立は手首を動かす。けれどそれは、はるにとって少しびっくりなことだった。すぐさま夕立に駆け寄ると、コンロの上に顔を乗り出さんばかりにするので、彼にぴったりくっつく形になった。
「このまま丸めちゃうの?プレーンオムレツにしちゃうの?」
 いくら早くしないといけないからって…と、気持ちは分からなくはないけれど、それじゃあこのチキンライスはどこへゆくの?と言いたげな視線を浴びて、黄金色のたまごは中身を包むまえに自分が自分にくるまってしまった。答えをはやくはやくと求める時のくせで、はるの大きな瞳がせわしなく瞬く。
 その表情に夕立の、秘密を隠し通そうとする決意が、かなりぐらりとふらついた。けれどそこはなんとかこころを振り絞り、今にも話してしまいそうな口に急いでファスナーを。
 でもでもやっぱり、ほんのちょっぴりは仕掛けがばかになってしまい。
「最後に、おたのしみがあるんだ」
 とだけ。秘密の欠片を囁いた。
 これに納得したわけでは当然ないのだろうけれど、はるはそれ以上質問の眼差しは送ってこなかった。その代わり、とてつもなく真剣このうえない顔つきで、可能なかぎり眉間にしわをよせて、なんとか秘密の扉を開こうとして考え込んでいる。小さな宇宙がぐるぐる回り、いずこにか隠されているのだろう、真理へたどりつこうとさすらいの旅路。
 あまりに一心不乱なものだから、夕立がこっそり彼女の立ち位置を移動させたのにも気付かなかった。フライパン片手に、熱い油が飛んではるがやけどしないように、コンロから遠ざかるよう彼自身が盾の役割になってみせたのだ。
 でもやっぱり没頭しているはるは露ほども気付かなくて。お皿にチキンライスを盛るよう夕立から頼まれたときになってようやく我に返り、どうして自分が移動しているのか分からなくて、しばらく周りをきょときょと見回してしまった。結局素直にお皿へ盛ったが、その行動は首を傾げながら行われた。

 真っ白い大きなお皿。カフェへ行けば、ワンプレート・ランチ用として使われていそうなもの。今回だって、オムライスの横にサラダやらデザートやら添えれば、立派なお昼ご飯となるだろう。現在そこにあるのは、中央にでん、とたたずむチキンライスだけだけれど。付け合せのブロッコリーはもうゆであがっているので、問題なし。
 さあ舞台は整った。あとは、いちはやく主役を完成させなくては。

 てろん、としたプリンのようななめらかさで、オムレツは焼きあがっていた。てれてれとかがやく表面には焦げ目一つなく、ひたすらにつやつやしている。スプーンで軽くつついただけで、今にもくずれてしまいそうな、やわらかさ。そしてほころんだ箇所からは女神の溜め息にも似た、純白の湯気が立ち上るであろうことうけあいだった。確かにそれは、極上のプレーンオムレツに違いなかった!
 でも忘れてはならない。今日のお昼は、オムライス。

 注意深く、フライパンからオムレツをおろす。それはもう、呼吸さえはばかられるほどの張りつめた空気の中で。
 夕立の長い指がフライ返しを取る。まるで絵筆めいて構えると、凛とした瞳で標的を見すえ、細密画でも施すように、ゆっくりと指先を動かしはじめた。はるは両手で口をおさえて、一言たりとも一息たりとも漏らすまいとしながら、状況をみまもっている。しかし無意識のうちに呼吸を忘れてしまったらしく、その顔はどんどんまっかになってしまっているので、早期決戦がのぞまれる。

 ゆっくり。そりゃあもう、ゆっくり。じれったいほど。
 砂時計のひとつぶだっておりてゆくのにおっかなびっくり。
 空気がやきもきするくらいの時間をかけて、かけてかけて。
 黄金の肌もつ天使が赤い大地に舞い降りた。

 おみ足の一端がてれん、とチキンライスに着地するのを確認すると、はああ、と体全体ではるが呼気をときはなつ。おおげさなくらいに深呼吸をすると、やっと林檎の頬が桃くらいにおちついた。
 安心したのは夕立もいっしょで、ようやく肩の荷がおりた、とばかりに妙にこわばっていたそこかしこの筋肉から力を抜いた。けれどこれで全てがおわったわけではない。目の前でほこほこしている、実においしそうなお昼ご飯もどきは、あえて名前をつけるなら『チキンライスのプレーンオムレツ乗せ』という、何がしたいのやらわけ分からない代物である。これを当初の目的どおり、オムライスにするには?
 かちゃり、と金属のふれあう音に、まだすうはあゆっていたはるが気付いた。ふと視線をよこした先で、何ともいえないたのしげな笑みを口元に乗せた夕立が、カトラリー入れをのぞいて、何かを探していた。
 にっこり微笑みかけられて。その微笑みかたがどうみても、いたずらをやらかすコンマ二秒前の、こどもの顔で。いたずら便乗、それは最高に楽しいことだから。当然はるも、おなじ類の微笑を宿して、かるい足音で彼の元へぱたぱたと。

 さあさ。おたちあい。
 そんな台詞を口にしたわけではないけれど、もし何か口上をのべるとしたなら、この言い回しがいちばんしっくりくるだろう。
 猫さえキケンななんとやらではちきれんばかりの彼女は、ようやっと夕立が探しあて、手にした銀色のナイフに釘付けだった。きらん★とぺかぺかにかがやくそれは、柄がさかなの形した、かなりかわいらしいもの。いまにも口から噴水がでそうな。
 さかなナイフに添えられた彼の指は、ちょっとだけ節がめだつ。でもいまはそんなのどうでも良くて、注目すべきはそのゆきさき。自由な方の手で唇の前に人差し指をたてて、彼女の瞳をつかまえて、目を細める。ひみつがはじまる合図。
「見ててね」
 とっくの昔からはるは凝視しっぱなし。そんなの百よりずっと承知だけれど、言ってみせる。彼女だってこくん、とうなずいて返してくるし。
 さっきの天使降臨よりかはずっとゆるやかにぴん、とした空気。やわらげているのはたぶん、この快すぎる香気なのだろう。緊張よりもくすくす笑いがにあうしじま。
 銀色おさかな、魔法のステッキ。繊細な衣をなでるように、彼はそっと、黄金の柔肌に一筋の軌跡をえがいた。
 すると。

 とろぉり、と。
 目の前でてろてろオムレツがふたつにわれて。たまごがひとえを脱ぎ捨てた。それはもうおもっていた通りのすがた。はんぶん固まったたまごが中からあまい氷河めいてながれでて、チキンライスをしずしずとおおってゆく。もちろんメレンゲ雲みたいな湯気もわすれずに。
 あっけに取られて瞬きも出来ないはるの前で、夕立はしてやったりと会心の笑み。砂場にこしらえたおとしあなにエモノがひっかかった。
 オムライスはこうしてぴかぴかに出来上がった!

「すごいすごい!すごくきれい!」
「いっぱい失敗して、こないだやっと出来るようになったんだ」
 その場でぴょんぴょん跳ねだしそうなくらいに、おおはしゃぎで大絶賛する彼女の宇宙は超新星がおきたみたくきらきらだった。うもれてしまいそうな賞賛をあびて、それよりも大喜びの彼女がみられて、夕立の満足といったらなかった。やっと秘密を打ち明けられて、隠し続ける重荷からも解放されてやれやれな気持ちもあったことだろう。
 しあわせなひみつは嬉しいけれど、あんまり長いと少しくるしいから。

「練習のおかげで、ここしばらくずうっとオムライスだったんだよ」
「いいなあ、毎日こんなにおいしそうなオムライスなんだもの」
「流石に一週間もすると飽きるよ」
「ううん、わたし、絶対飽きない」
 苦笑まじりにここ数日の修行のありさまを語っても、はしゃいだ彼女にはかなわない。その反応も、その大輪の笑顔も、予想どおりだったけれど、実際こうもまのあたりにすると、なんだかくすぐったい。
 ともあれぴかぴかオムライス。ブロッコリーの林をつけて、みごと完成。低いテーブルにお皿を置くと、カーテン越しにのぞきこんでくる太陽のせいで、表面がつやつやの粒子をまとったみたいになった。
 いますぐ問答無用にぼなぺてぃ!な気分ではあるけれど、まだまだおなかの反撃にでられそうにはない。いくらおいしそうでも、それはひとりぶん。せっかくふたりいるのに、ひとりで食べてもつまらないから。
 さあ急いでもうひとりぶん、と夕立が冷蔵庫を開ける。作業工程はとっくに頭のなか。どれだけ練習したのやら。ごそごそと中身をさぐる彼の横で、もう一度あの魔法が見たいのか、ボウルかかえたはるがわくわくしながら卵をまちかまえている。
 が。

「……あれ?」
 がさごそ。ごそがさ。ずっと聞こえてきた探索の音がぴたりとやむ。冷蔵庫に頭をつっこんだままの、夕立の体も、ぴたりと止まった。その声にはるが首を傾げる。なんだか彼は、ずいぶん長くさがしているような感じがする。
「……えっと」
 がっさごっさ。ごっしゃがっしゃ。ちょっとにぎやかな音がしてきて、冷気越しのくぐもった声が、更にきこえにくくなる。そんなやっきになって中に台風をおこさなくても、元から中身は少ないはずなのに。たくさんの食材がはいっているわけでもないのに。なのにこの大捜索っぷりは。
 ゆらり。彼は冷蔵庫から離れると、ぱたり、と扉を閉めた。やたらと力ない風だった。すっかり冷たさの逃げてしまった内部では、いまごろおおいそぎで温度をさげようとしていることだろう。冷気はぜんぶ、彼にわたってしまった。
 ぎ、ぎ、ぎい、と。油のきれたブリキ人形みたいな動きでふりかえった彼は、なんとなくうつろ。口元の笑みがひきつっている。あたまのうえに疑問符のっけたはるに、夕立はこごえたように告げた。
「……卵、全部使っちゃってた……」

 直後。しばらくの沈黙のあと。
 どちらかが先にもらしたちいさな笑いが亀裂をうんで。
 部屋の中に軽快なハーモニーが響きわたった。


「……一パックあったんだよ。丸々。だからまさか無いなんて」
「ほんとうにいっぱい、練習したのね」
 結局ふたり、向かい合って腰をおろして。低いテーブルのまんなかにあるお皿をはさみこむようなかたちで。おのおの手にしたさかなスプーンで、ひとつっきりのオムライスをつついている。溜め息といっしょに床へたおれこみそうなほど憂鬱な夕立をよそに、はるはいたってごきげんで、実にしあわせそうにお昼ご飯を楽しんでいる。
 卵切れで万事休す。オムライス作りはここで中止となり、残ったチキンライスはラップでくるんで夕立の晩ご飯にまわされることとなった。別に、夕立は自分がチキンライスを食べるから、ひとりぶんしかないオムライスははるが食べるようにといったのだが、頑としてきかない。 『きょうはふたりでオムライスを食べるの』と、かたく誓っていたはるは、『ふたりで』の部分も、『オムライス』の部分も、決してゆずろうとしなかったのだ。
 で。結果として、ふたりでひとつのオムライスを食べることになった。さくり、とスプーンでふたりぶんにはんぶんこして。

「やっぱりこれだけじゃあ足りないね…ごめん」
「ううん。すごくおいしかった。ごちそうさまでした」
 すっかりへこみぎみの夕立に、大満足のはるはにっこり笑顔でありがとう。だから彼も少々ぎこちない笑顔でおそまつさま、と返す。とは言うものの、やっぱりおなかはやや不満げ。八分目にさえ届かないしまつ。
 どうしようか…とカラのお皿を前に考えこむ夕立は、頭の中でいろんな解決策をえがいては次々に消していっていた。なかなか良い案がおとずれてくれない。だがカトラリーを片付けはじめていたはるを見て、ぴん、と何かがひらめいた。直列接続、豆電球。
「ホットケーキが、食べたいな」
 いきなりな言葉に、え?と視線で問い返すはるの手元がとまっている。そんな彼女の前で、夕立はさも良いことをおもいついた、とでも言いたげに、わくわくをふくんだまま続ける。
「きみの作ったホットケーキが食べたいな。あの、すっごくおいしい」
 にこりと笑いかけた先で、ぽかんとしていた様子のはるが、一瞬にしてオリンポスもびっくりのきよらな微笑を灯す。

 夕立のお得意がオムライスなら、はるのお得意はホットケーキ。けれど、ホットケーキは冷めてしまうとさっぱりおいしくないし、温めなおしても、かなりいまいち。出来立てでないと絶対においしくない。とはいえ、お昼ご飯を食べたらすっかりおなかいっぱいになるし、出かけたりしちゃうので、めったに手作りほかほかホットケーキを食べる機会はなかったりする。かなりの希少価値な一品。
 でも今なら。お昼ご飯は食べたけれど、おなかはいまひとつ。出かける予定もなくて、部屋でのんびり。ならば。この状況なら。とってもすっかりいい感じなのでは?と。夕立は思いたったのだ。
 それに対するはるの答えは訊くまでもない。未練たっぷりのアフロディテから林檎をうけとった天上の微笑。
「じゃあ、すぐに作るね」

 ざっとテーブルの上にある食器類をかたづけて、それらをよいしょともちあげると、ローズクオーツの鈴が転がるような声で、何かの歌を口ずさみながらぱたぱた歩く。微かな歌声とかるい足音がかさなって、台所のほうへ遠のいてゆく。彼は、その後姿をやっと浮かんだやわらかな笑みで、見つめていた。
 たまには間違いもいいもんだ、なんて考えが頭をよぎる。卵がなくて、ふたりぶんお昼を作れなかったのは痛恨の失敗だけれど、そのおかげでこうして、たまにしか口にできない、はるのお手製ホットケーキが食べられる。
 ときたまにしか食べられないせいなのか、それとももともとなのか。はるのホットケーキは最高においしいのだ。いろんな要因がかさなりあってとろけるさまは、たまらないくらいの幸福感をもたらしてくれる。口の中からはちみつと一緒にしあわせがじわじわしみこんでくるような。それをこんなにお天気な昼下がりに、予期せぬかたちで食べられるなんて、と夕立はしみじみノルンの姿を思い浮かべてしまう。もっとも、一番の感謝をささげるべくは、当然ながらはるにだけれど。と。
 …たぱたぱた。遠ざかっていったはずの足音が、フィルム逆回しみたくして、今度は近付いてきた。その主はいまさら考えるまでもないが、それでもやや驚いたのはあたりまえ。台所から急いで戻ってきたはるに、どうしたの、と声をかける前に、彼は気付いた。
 このぎこちない表情と、こごえそうな様子は、どこかでみたことがないか――。
 はるは、言った。
「……卵、使っちゃってた、ね……」

 瞬間の沈黙。そして、直後はおきまり笑い声の二重唱。
 ぴり、とやぶけたパラフィン紙から、あまいお菓子がめいっぱいに零れおちてくる。もうおなかが痛くなるくらいに。


 『たまご買いに行こうか』。最初からそう言えば良かった。でもやっぱり、言わなくて良かった。でないと、こうしてふたり、くすくす笑いながら出かけることなんてなかったから。涙がでそうなくらい、おなかをかかえて笑いあうことなんてなかったから。
 座りこんでいた床から腰をあげて、鏡をのぞいてちょっと髪をなでつけてみたりしてから、ポケットにお財布をすべりこませる。彼女はスカートの裾をととのえてみたりして、小さなバッグを手にしたら、こちらも準備はばんたんで。
 じゃあ。と、声をかける。うん。と、こたえる。

 ぱたん、と閉まった玄関のドア。足に羽でもあるみたく駆けだすふたりの声だけが聞こえてくる。それから、夏の風にひらひら揺れてたはるの薄いスカーフのきらきらが、そこらに木漏れ日めいて零れていた。
 
 
 ささいなとある夏の日のこと。


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