自分で定めたことはありませんか? 他の人から見たらたわいのないことでも、やっておかなくては納得ができないこと、持ち合わせていませんか?
こんばんは、あまつばめです。 低周波治療器で1時間ほどマッサージされるのが日課になっています。 でも、本当に効果があるのか、疑問に思いました。 不安で、2日間、片足だけかけてみました。 今のところ、効果はありません。 傾いて歩き出したら、効果がある証拠でしょうか。 今は、まだ、不明です。
私事で恐縮だが、1月の目標がある。 本を10冊読むことだ。 ただ読むだけ。 感想や創作をするというでもなく、読み荒らして書棚に並べるだけ。 読み返すことも多いけど、月ごとに10冊以上読み終わった本が増えていく。 2年前の正月から、どんな本を読んだかメモをしていて気がついたのだ。
「これは一つの挑戦だ」 「外に何か作れないのなら、自分の中に築いていこう」 「棚いっぱいの本は、私の中にある知識の象徴」
自慢できるものもなし、 自信を持てるものもなし、 自分を保持するものがなし。 だから型組が欲しかったの。 もし、私が、この世界から消えてしまっても、本を見るたびに思い出してくれる人がいるように。 他人の中のよりしろとして、私は本を選んだ。
「あぁ、いつも本、読んでいたあいつね」
そんな風に覚えていてもらうのが、幸せだったのかもしれない。 こんなことを書いているのには、理由がある。 今月は10冊読み終わりそうにないのだ。 それも、 「忙しくて読む時間がなかった」 「買いたいものがあるので、ちょっと自粛している」 「長編を読んでいるので、他の本まで手が回らない」 ではないのだ。
食指がのびなかった。
ただ、それだけだ。 タイトルや背表紙、帯にかかれている推奨文を読んでも、「これ」といって読みたいという本がなかったのだ。 仕方なしに、昔読んだ本を読み返している。
なんなのだろう。 新しいものは知らない興奮を呼び起こしてくれる。 でも、手に取ろうとしなかった。
こんな表現、そんな言葉、あんな情景を紡ぎだす新刊に興味が失せてしまったの? 新しく開拓する気持ちが失われた? できあがってしまった本棚で満足している?
何冊も飛ばし読みして、部屋の中を見渡す。 読み終えた本の何冊かが、平積みに目に入る。
「本、大事にしてないんだね」
そんな声が聞こえてくるようだった。
定めたルールはなんのため? 私が本を好きだったからじゃなかったの? いつから「読むこと」が目的になってしまって、「読み物」はどうでもよくなってしまったの?
好きという記憶が、戒めてくれていた。 新しいものを見据えるより、今あるものをずさんにしている姿。 まだ、これからも、本を好きでいられるために、新たにルールを定めた。
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