samahani
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2002年12月16日(月) 距離を感じる

日本に帰省中の4日め、兄と昼休みに待ち合わせてランチを食べた。

東京に住む兄とは、夏休みに帰省した時に3日間ほどしか会えない。一度ゆっくり話をしたいと思っても、その時は兄の家族も一緒なので、義理の姉に遠慮して言えないこともある。

70をいくつか過ぎた母は、この夏、随分と気弱になっていた。母より年下の近所の友人が急に倒れて、一晩で帰らぬ人となってしまったり、母の実の弟が大病を患い、7時間にも及ぶ大手術をして長期入院をしていたりと、身近で起こった出来事に我が身を案じていたのだ。

「もし、寝たきりになったりしたら誰が面倒見てくれるんだろ・・」と言う母に、兄嫁は「おかあさん心配しないで私が面倒見るから」とは言わなかった。そのことを「そんな時は 嘘でも、そう言ってくれればいいのに」と母は私に愚痴った。

実際問題、兄だって東京で仕事をしていて一緒に暮らすのは無理なのだから、出来もしない嘘を言うのがいいのかどうかは分からない。けれど、兄がそのことをどう考えているのか一度きちんと話し合いたかった。


東京に着いてから、兄に電話をしたら、その話を持ち出す前に、怒られてしまった。「どうして、ひとりで日本に帰ってくるの? 主婦なんでしょう? よくそんなお金があるねえ・・。」 「ちょっと説教してあげなきゃいけん」とまで言われて、一番堪えたのは「お金」のことを言われたことだ。

兄が、マンションのローンや私立中学の学費(その前は塾)やお稽古事の月謝でかなり苦しい生活をしているらしいのは知っている。そんな兄から見たら、「そんなお金」になってしまうのだろう。

実は、兄と夫は途中まで、全く同じようなキャリアだったのだ。同じ大学と大学院(ふたりとも理系)を出て、ほとんど同じ仕事に就いた。給与体系も同じだった。

私と兄は、同じ年に結婚したのだが、その頃は、兄の方が先に働いていたし、きちんと貯金もしていたので、貯金が0の夫より、むしろお金持ちだった。私が新婚の頃はとっても貧乏で、とても貯金に回すお金なんか無いのに、家計を預かる身として切り詰めて貯金しなきゃなんてけなげに思っていたくらいだったのだ。(とは言っても、両方の親がまだ仕事もしていたので、援助してもらっていたのだけれど)

息子が4つくらいの時だったと思う。入園か七五三かなにかで、義理の妹がお祝いをくれた。封筒には1万円入っていて、こんな小さな子どもの大きな節目のお祝いでもないのに、1万円もくれたことに複雑な心境になった。妹に子どもが出来ても同じようにお返しできないだろうと思ったのだ。

義理の妹夫婦はふたりとも医者なので、その頃の収入は、ふたり合わせて少なくともウチの4倍はあったのではないかと思う。妹の家の1万円は、うちの2500円と同じ価値なのだ、そう思うと、同じように付き合うのがとても理不尽に思えた。


あれから、ウチでは、夫がボストンに留学したりいろいろとあって、アメリカに住むようになって3年目あたりからお金に困ることはなくなった。兄が夫と自分を比べているとしたら、きっと、義理の妹が1万円くれた時の私の気持ちと同じような気持ちになっているのではないだろうか。


2年前の夏、夫の父親と私の両親は、3人とも70歳だった。義理の妹が義父の古希のお祝いをしたいと言うので、温泉に2泊してご馳走を食べた。「その手配は全部妹に任せるから手ごろな値段で探しておいて」と言うと、妹はひとり2万円の宿を予約していた。(実はとても驚いた)うちは子ども料金も適応されず、4人分と義父の分も折半してかなりの出費だった。

一方、私の実家の両親のお祝いは、近所の温泉に一泊で国民宿舎のようなところだった。兄と折半したから、そんなに高いところを提案できるわけがないとは分かっていたけれど、義父のお祝いを終えていたので、比べてしまい、それでも自分の親の「子どもや孫が皆集まってお祝いをしてくれて、こんなに嬉しいことはない」と心から喜んでいる様子に、ちょっと哀しい気持ちになった。


兄と会うたび、少しずつ距離を感じるようになってしまったのは、兄のそんな気持ちが、なんとなく伝わってくるからなのかもしれない。


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