samahani
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2002年10月25日(金) もしも日本が戦争することになったら

わたしが2歳から18歳まで同居していた義理の祖母は、父の母でも母の母でもなかったから、父の母や母の母よりひと回り以上も年がいってて、つまり、古い考え方の嫁姑の確執を絵に描いたような祖母だったのだが、なぜかわたしのことは気に入って猫かわいがりしてくれた。

祖母には、小学校の教師だった夫と3人の息子たちがいたのだが、戦争や病気で皆、死んでしまった。祖母は天涯孤独の寂しい身の上だった。そこで、わたしの父と母が結婚した時、親戚にあたるその家に夫婦養子となって入ったのである。

わたしは「おばあちゃん子」だったから、物心ついた時からずっと祖母の話に耳を傾け、祖母の影響を強く受けて育った。おばあちゃんが語ってくれた戦争の話は、4つや5つだったわたしでも涙無くして聞けないほど悲しいお話で、わたしはその頃から、戦争は絶対にあってはいけないことだ強く思っていた。はだしのゲンを読んだことがなくても、広島の原爆資料館を訪れたことがなくても、既に強い思いとして刻み込まれていた。

わたしのそういう気持ちはたぶん同年代の人より、より強いものだと思われる。9.11の後、報復という名の戦争に気持ちが向かっていたアメリカ人にどうして日本人は同じ気持ちになれないのかと言われたとき、わたしは「日本人の戦争体験が戦争は忌むべきものとして身体の芯から染み付いているからだ」と答えたかったのだが、どうしてあのおじいさんにそう言ってくれなかったのかと夫に聞いたとき、夫は、わたしに言われるまでそんな答えは思いつかなかったと言った。

そんなわたしが最近、日本にも軍隊が必要なのではないかと思うようになった。

ボストンにいた頃、ドイツ人や韓国人の友人が、自分の国では兵役の義務があるから帰ったら2年とか3年とか、軍隊に入るのだと言うのを聞き、先進国では徴兵の義務がないのは日本くらいだと言うのを聞いても、その事実に驚きはしたけれど、男の子ふたりの母として、日本人でよかったと思ったものだ。

アメリカには陸海空の軍隊があって、その士官を養成する士官学校の生徒はエリートで、教会に行くような敬虔なクリスチャンでも軍隊に働いているのだという事実に、わたしは長い間、違和感を持っていた。軍隊は戦争をするためにあるのだと思っていたからだ。

けれど、軍隊は戦争をするためにあるのではない。ひとつの国が国としてあるため自分の国を守るためにあるのだと思う。

日本が、お金をばら撒くだけの外交しかできないのも、北朝鮮を始めとした諸外国に舐められたような外交しかできないのも、日本に軍隊がないからなのだ。戦争になったら困るのは日本だから、仲良くしましょうといって各国に恩を売るために拠出する金額はODA関係だけで年間1兆5千億円にものぼる。(資料:1996年)

国連などの国際機関に多額のお金を拠出していても、大きな発言権さえもない。何かあったときには、日本にも駐留しているアメリカの軍隊に守ってもらわなければならない。

日本はずっとこのままでいいのだろうか。

わたしは日本の若者が自分の国について考える機会がないのは、ひとつは他の国のように兵役の義務がないからなのではないかと思う。

軍隊があったほうがよいという意見は過激にすぎるのかもしれないが、外務省や財務省の弱腰で国益不在な、お金のばら撒き外交を見ていると、そんなふうにも言ってみたくなる。


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