愛より淡く
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2008年09月23日(火) 彼岸に

お彼岸なので、夫の実家のお仏壇にお線香をあげに行く。

夫の実家は、歩いて数分のところにあるけれど、さらにいつも近道を通っていく。


近道は、道が整備されていないので、雑草だらけで、昨日雨が降ったためにぬかるんでいた。


実家に着くと、玄関の前で、夫の母が、イスに座って、なにやら作業をされていた。


声をかけても気がつかれなかったので、義母の顔をのぞきこんで、両手を合わせて、「お線香をあげに来ました。」という意思をゼスチャーを示した。

了解という感じで義母は、小さくうなずいた。


お線香をあげて、帰り際に、義母から葡萄とおはぎときゅうりをいただいた。


庭木のコスモスが愛らしかった。




夫の実家の向かいの家は、すっかり廃屋と化していた。


上の子が生まれて間もない頃、夫の実家に同居していた時のことをふと思い出す。

あの頃は、まだお向かいには、S子さん夫婦が住んでいらした。


S子さんは、子供のように無邪気な人だった。


毎朝旦那さんが出勤されるとき


「行ってらっしゃーい、はやくかえってきてねーー」

と、不自由な両手を懸命に振りながら、大きな、大きな声で見送られていた。


そして、旦那さんの車が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振られていた。


やがて旦那さんの車が見えなくなると、さみしげな表情を浮かべ、肩を落とし気味に、やや左足をひきずりながら、家の中に入って行かれるのだった。


私は、ほぼ毎朝、その一部始終を、洗濯物を干しながら眺めていた。


S子さんは、交通事故に遭われてから、脳にダメージを受け、両手と下半身に麻痺が残り、知能にも障害が生じてしまわれた。


S子さんの毎朝のお見送り風景は、いつも胸にぐっとくるものがあった。


映画の感動的なワンシーンを見せてもらっているような気になった。


S子さんの旦那さんは、「おらが町のサブちゃん」と呼ばれるくらいのカラオケの名手だったようだ。

ここに来てまだ間もないころ、町内会のお花見の余興で、歌われていたことを思い出す。

正直歌声は覚えていない。

覚えているのは、S子さんの旦那さんよりも、Mさんのところの徳さん(仮名 当時80代)の熱唱だ。

マイクを握り締めて

「いくつになっても、わたしはおんな〜どこまでいってもわたしはお〜ん〜な〜♪」

と、めいっぱい感情を込めて、ものすごい迫力で歌われていた。

周囲も度肝を抜かれていたという感じだった。

あの時の光景は、脳裏に焼きついてしまっているので、今でも鮮明に思い出すことができる。

徳さんは、すでにもう他界されている。

S子さんも、S子さんの旦那さんも他界されている。


S子さんが亡くなってから、まるで後を追うように旦那さんも亡くなられた。


歳を重ねるごとに、


この土地に来て知り合いになった人が、一人去り、二人去り、

と、いなくなってしまわれる。


それは自然の流れで仕方のないことなのだろうけど。


彼岸。


この土地に嫁いできて、これまでに出会った人のことを

あれこれと思い出しながら、来た道とは違う道を通って帰った。






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