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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年07月13日(日)
ほらここに、真っ白な世界が在る。


最近どのドラマにもイタイ人が存在して、そりゃもう言動であるとか行動であるとか何かしら一つがアイタタタな人は一挙手一投足が苦手な場合が多いんですが、了見を狭めたらつまらないとそのフィルターを剥がすのに努力しながら、ふと、苦痛を感じながらいやきっとそれだけじゃないと頑張ってまで見るのはどうなのか? とも思い至る。ストレスを感じてまで娯楽に費やすものかと。時間も精神も。どんな媒体であれ作品を見るのは娯楽であり、同時にそれだけでもないのですが。
それは兎も角、最近はキャラクター化が激しく思います。漫画原作でなくとも、寧ろそれらが流行っているからなのか、特長を良くも悪くも過度に際立たせて、大抵の場合はそれが自分にとってのアイタタなんですが。


例えば聞いた事に大して直ぐに答えがない時。
質問の意味がわからなかったのか、答え自体が無いのか、こりゃまずいとはぐらかしたいのか、揺さ振ってやろうという不誠実なのか、答えを考えている内に質問を忘れてしまったのか、ただの遊びで引き延ばしているのか、わからない。
その時に、表情や、顔色や、声色や、口調なんかで、判断をするのだろう。
するとメールやらなんかの文章だとどうなるか。この際電話は後半の二つが当てはまるから除外。多分、もっとわからないんだろう。
くだけていても畏まっていても至って普通でも、打ち手を想定しながら、それはあくまでこっちが勝手に想像した声で再現するものだから、ぴったり符号する訳はないし、故に半信半疑。
勿論此方も文章なのだからして、どれだけ切羽詰っているのかを表現したとて冗談と取られる可能性もあるし、なんの気無しだったのにやたら勘繰られたりと見解の相違は生まれて。同時に冗句のつもりが意地悪に取られたり、悪い方へ縺れ込む可能性も秘めている。
そういうのをリアルでは、触れ合わない現代病だとか発達した情報伝達社会の弊害だと言うんだろうが、行間から読み取る術も処世術として有効だし、矢張り世の中四十九利合って五十一害ありなんだろうなぁ。


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