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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年06月28日(土)
いつか、いつかと願うだけの立派を持ってる。


某所で某女性有名人がブログで僕と呼称するのが痛いと言われているのですが、そんないかんかなぁ。自分に関しては全く何も考えず空気と言いますか打っている時のノリで自分だの僕だのおれだの一人称から定まらないってどんだけだ。
いいじゃないか、みんなすきに呼称すれば。拙者だって某だってなんだっていいじゃない。

多分きっと、大人の対応だとか穿き違えているんだろう。適当なところで相槌を打ち面倒になったらなぁなぁに処理して、反発し合うだけだとか真っ向から衝突するだけの平行線は確かに話し合いを継続しても詮無いものやも知れないけれど、だからと言ってそんな風に中途半端、諦めてしまうのはどちらにとっても得策に成り得ないような。
だって互いにしこりが残る訳じゃないですか。相手の言い分を納得出来ず己の意見も消化出来ず、蟠りが残るだけ。それの何処に意味があるんだろう。時間の節約? 気持ち悪い途中を抱えたまま。
それでも確かに、自分にもある。もうこれはごねても通らないなとか、あっちにもそれなりの、経験則なり憶測から捉えた物事があって、否定する権利は無いし傲慢に口論で勝利しなきゃいけない訳でもない。
でも妥協してはいはいって流すのも、間違っている気がする。その言葉さえ又簡単に打ち切られてしまうのだろうけれど。
むつかしい。面倒だから諦めるのか否定するのは傲慢だから口を閉ざすのか、結局自分の言い分が否定されていくのがいやになったって事に思えるから。


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