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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年06月29日(日)
最終的に行き着くバージン。


量が多い程お得が付いて逆に基準のサイズを下回るとやや割高になると言うのは世の常ですが、調味料でも惣菜でもなんでも、もそっと小食市民の事も考えようぜ?
やたらと大きな佐世保バーガーを販売しているところでもそのやたらと大きなやつとそれを半分に割ったやつが売っていまして、分割して食べればいいやと貧乏根性で大きいのというかだから普通のを一つ、購入しましたが半分に届かないところで第一回目は幕を閉じました。
あれこれやっぱりハーフでよかったんじゃね? 帰宅後ソースがべちゃべちゃになっていて泣きそうになったのは内緒内緒。欲張っちゃいかんな、分相応を心掛けよう。
そもこれは、開港祭だかなんだかでふらっと出歩いた時の話なのですが、その後御近所で定期的に開かれる小規模の、縁日と言いましょうか屋台が出揃う日に別の佐世保バーガー屋を見つけて絶望した。
珍しいと思ったから値段の高さもスルーしたのに! だ、騙された! それも後日発見した方は一個が小さなサイズで、それのみで売っていたのでじゃあ逆にどちらにしようかなとかあんなにも悶々とした時間はなんだったんだろうとかとかとか。矢張り流行に浮かされるなって事なんでしょうか。

装おうと、すればする程本当に軽薄になっていく気がする。そうでありたいと見せ掛けているのは本当なのに、浅はかな面ばかり踏襲していくような。
騙すとか謀るのではなく、やっぱり悪印象よりは好印象のが持って欲しいし、その為に取り繕うのは言葉だけなら吐き気がするけど様々なシーンで必要な事で、すきな人と逢うからオシャレするとか美味しいもの食べて貰いたいとかそういうのも言ってしまえば虚構になって、そんな重箱の隅ばっか突付いてたら何も身動きなんて取れなくなる。
気持ち次第? その人が大切か否か、それとも例えば、商談なり、気に入って貰う事で次の発展を願う打算なのかっていう違い?
己が納得するか否かっていうものだったら、それこそ欺瞞じゃないか。でも、全部が全部悪いと決め付けるのは何事に於いてもどうかと思う。それもまた、きらうべきものだから。
でもまぁ、本人の心がどうであっても最終的にどう見られるかに心の答えがあるのなら、やっぱり内心なんかどうでもよくって精一杯好意的に受け取られるよう努力するのが無難なのかな。


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