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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年05月29日(木)
忘れられないくらい、諦めた思い出。


最近はネットの頻度がガタっと落ちていて、かと言ってパソコンに触れている時間は大差無いのでイエス創作だのなんだのいう手前のネタが楽しくてしょうがないんですが、そんなにネタで溢れ返させて今後実用性はあるのかとふと我に変えると、忘れる為にまた没頭します。
一週間程度の感覚で日参(既にその時点で週参だがな)サイト様を訪れると、量にびっくらこきます。後あれだ、話がニアミスしていたり。この間も、るろ剣の星霜編について自分以外もこんな近くに見ていらした方がいたんだと軽く奇跡を覚えました(笑)。

認めたくないが、事実でもある。だけどあまり多くを知らないからなんとなし、それが近いんじゃないかなと当てはめていく勘違い誘発方式だから、見誤らないように注意しなくちゃ。
なんだろうなぁ。なんだろう。単純にしてありがちな名前とはどうにも思えないし、と言って複雑とも到底とれない。極めて本質的且つ陰湿な、感覚。
多分、歪んでいるから、そうとしか見れないんだろうな。
それが本当に幸せなのかと疑う言葉も一時の浮かれにより生じている盲目なんじゃないかと辛辣な言葉も嫉みではなく、本気でそう思っている節があって、勿論自身が穿っているというのも込みで、だけどそんなに都合よくいくもんかよって押し付けの観念を、要らぬ不安を植えていくんだ。
一方で、この漠然とした有り触れた感情は、きっと相応しくない。あって然るべき、とも言い難いけれど固有の独占欲やら寂寞感ではなくて、嗚呼きっとそうして又、簡単に、いつだって、他に光があれば、捨てて行くんだ。そういう人達だったし、そういう道だったし、そうとしか生きて来なかった、誰しもが。
やっぱり、不安じゃないな。さみしさでもない。ただ、静かにありとあらゆる最悪のフラグを見つめているだけ。見据えるからこそ素直な祝福ではなく、茶化した欺瞞しか明け渡せない。いつだって喜びはぬかの危険性を秘めているもんだ。それもなんて、自分勝手な話。尤も僖びですらないから、なんでもいいじゃんって、何処までいっても他人事なんだ。そりゃみんな、他人だもんな。
自然気持ちは傾いていくけれど、これがどうせなら一般的にして幼稚な想いだったなら、ようやっと触れる機会に出逢えたのかも知れないのにと若干残念でもある。


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