
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2008年05月15日(木) ■ |
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| 賢さを持ち合わせない逢魔。 |
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今だってまともに、呼べないのは何処までも自分のくだらなさだとわかってる。 妙に重きを置くとか、固執するとか、執着とかじゃ、無いつもりなんだけど、これじゃ依存してますって言ってるみたいだ。 だけど天邪鬼だからそれも、そうと思うからこその婉曲で、縁が続けばいいのにと思いながら努力を怠るのは来たる終わりをおそれて、その為の言い訳を求めてるんだ。
昔は、痛くて痛くてどうしようもないと、感じていたくらいの頃は、それこそ縋るように、必死で、繋ぎ止めるように、していて、唯一の外界との繋がりなのだと、唯一人間になれるチャンスなのだと、それでいてもう、多分その想いの丈を告げる事はないのだろうなという事も、わかっていた。 思わせぶりにしておきながらも、今後も多分言わないだろうし、言いたくないとかじゃなくて、言う事への無意味さとか、それを言って聞かされてだから何? って気が付いたから。
なんかもうでもこういう風に書く時点で酔い痴れているようで不服なんだけれども、持っている過去で今の自分という形は中々在り得ないらしいどうも。あくまで類似ケースを元に見た経験則ですが。 それでも今、こんな自分があるんだからいいじゃん。克服だとかなんだとかより、多分単純に壊れてるだけ。 納得しているんだ。受け入れているんだ。必死の肯定とか思い込みじゃなくて、そういう風に、なってしまった。しまったけど、好ましいと感じている。 それなのに約束を果たす形で突っ突き回して、変に重荷背負わせるみたいだったり、微妙な空気にしてなんと答えてよいのやらな感情背負い込ませて、一応そこまで性悪じゃないつもりだから。つ、つもりなんだけども! あれどうかなそれもありかなえーい黙れSの本性!
つまりだな。んー、なんというか、自分と同じようにへー面白い話だねネタになるねって展開になるなら全くどうでもいいのだけれど、それによって接し方が変わるなり見る目が変わるなり哀れみが潜んだりするなら、そういった視線を味わうのも楽しいかもしれないけどそれと引き換えにして、犠牲にしてまで、試してみたい事じゃなくて、でもそうなると思ってるんだって時点で、信頼じゃないのかも知れない。でもそんな事も無いのかもしれない。 聞き役は好きだけれど質問は苦手だから相槌しか打てなくて、そんな調子がつまらないと取られるのはそれこそつまらないから、いっその事自分を曝け出す事で間口を広げて会話し易くなったらいいなって、潤滑油程度にしか考えていないのだけれど、逆にそれはおれが話したんだから話せよって強要しているみたいで、接し始めなら兎も角年数だけなら稼いでいる分、今更必要性も感じない。 と言えるくらい深いのかとなると自分がこんな調子だから、年に一度逢うか逢わないかだから、密接っていうんでもなくて、なぁなぁは心地いいけど、誰もがそう捉えてくれる訳じゃないし。 あれ駄目だ纏まらなくなって来た。むんむんするなぁ。打ってる本人としてはそれなりに理解してますが傍で見ていて判る気がしないなんだこの散文(苦笑)。
言ってもいいし、言わなくてもいい。言った方がいいなら言うし、言わない方がいいなら言わない。だけど判断基準さえ与えないまま、過去の亡霊は言うと残したまま、その辺りがフェアじゃないなぁと。 でもやっぱり、今更かな。一日中ファミレスで意味も然程無く時間を潰すとか勉強合宿して夜を過ごすとか毎日の挨拶さえ無かったのに、だからこそ培って来れたのかもしれない付かず離れずの長さに、今更、べったりぎっちり取っ組み合うなんて、性じゃない。っていう名のやっぱ逃げ口上っぽくも思えるんだけど。 嗚呼判りましたややこしくしている原因。いつも通り天邪鬼が邪魔をするううぅっ! もういいです。諦めました。凄い中途半端で投げ出してすみませんが自己完結したので又疑問になったらその時に。
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