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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2007年02月03日(土)
海域の狭さ。


話自体は別に全然好きなタイプなんですが、悉くどっかで見た感があって、どうにもいまいち、ノリノリになれない。状況設定や性格、依存するものから台詞に至るまで、ちょっと既存のものと被る被る。もっと言えばエヴァと被る被る。更に追求すればアスカと被(以下略)
なんなんでしょうね、本当に、個別に取ればどれも好きな要素では有るんですが、全体の合わさり方が凡庸というのか、諸雑誌に乗っている漫画スクールにあるコメント、オリジナリティというのは本当に大切なんだなとか妙な事で痛感する感じです。後はあれですね、詩も声もメロディも好みなのに一つになった途端まぁ好きだけどラブ! とかじゃないかな。そんな感じです。判るんだか判らないんだか。
それじゃまるでミックスの仕方が悪いようですね。そうとも言い切れないのは、風呂敷広げ過ぎて頓挫するようなあれとかそれよりはちゃんと世界観が成り立っているし目標や目処も立っているし終極へ向かってこれからどうなるんだろう、不安も勿論あるけれど強くない代わりに安定感があると言いますか。
行き当たりばったりがいいのかというとそうでも無くて、打ち切りになるよりは、例えなってもこうなりましたと何処かで仮説を打って終えられるようなそういうスタンス自体はいいと思うんです。想像力はそこそこの掻きたてやもしれませんが、看板倒れよりはいいと思うのですよ。
じゃなんで惹かれないのかって、そこのアブノーマルかなぁ。いやそれは全然いいんですが矢張り一番は、未知への期待より終わりへの安定を取ったとかそこではなくて、完全なるどれのパクリでは無い分紛れ易い何処を見てもどっかで見たような、そこだと思うんですよ。
だけどそれってば、難しいお話ですよ。こんな自分でも何年も生きている訳ですよ。アニメというカテゴリに偏り更にその中でも好む範囲は限られて行く訳で、その中で探っていけば必ず似たようなものにぶち当たって然りですこれは。
でいて新しいものを求めるとか矛盾しているのは理解しているんですが、似た状況であっても心情であっても突き詰めればそこを知りたかったりやりたかったり見たかったりする人が作り手にも見る側にも関わってきている訳なんですから当然と言えば当然で、ならばせめて、形を変えて見る事が足掻きなんだと。
どのような状況下のどのような台詞に惹かれ、それでもそれに満足せず何かを作るのは、そう、満足していないからで、アタック方法を変えてみたりイントネーションやニュアンスを変えてみたり、きっとそれだけでもいいんだと。
漫画になれば受け取り方は千差万別で、何かで見た台詞ならどうしたって同じものを反芻してしまう。アニメならまだ、声のトーンで変えられる手もあるけれど。悪足掻きでもせこくてもいいから、それはきっと、する事が一つの心構えなんじゃないかと。
そんな事だらだら言いながら自分じゃどうなんだとか言われたら痛いところ突っ込まないで下さいとこれに尽きます。えぇ尽きます。


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