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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2007年02月04日(日)
希望に満ち溢れ誰からも愛された糞食らえ。


最近日曜の映画を見てしまいます。夜のやつ。自分は中々映画というのは見られない性質で、二時間近くも拘束されるのがなぁとか思ってしまうタイプなんですよ。でも見始めたら見なくちゃと思う。面倒臭いな。
ここのところ007特集でも組んでいたのか連チャンでやっていて、一週見るとつい来週も見てしまって、元々この時間帯の映画を見ていたのは兄上様なのですが見事に策略に嵌められた気がしたりしなかったり。
その流れでMIBも見たのですが、面白いと兄上様が言っていたので見たのですが、半分ぐらいは目をぎゅっと瞑っているか俯いていました。
いや確かに面白い、面白かったですがなんかもう打ん殴ってやりたかった。誰とか何とか判らずに。ちなみにラスボスに当たる方ぐらいいってしまえば大丈夫なんですが。ちょっぴり触覚がいやなのを見過ごせば。どうせなら、2を見たいかなぁ。面白いのに変わりは無いけれど、こんなに見るのにそんな意味で神経がいる映画なんて、いやだ。寧ろ頑張って見たところを褒めて貰いたいところです(誰に)。
或いは必死過ぎて笑えるとかそんな状態じゃ作品に対する冒涜だとか思いつ、話の中で猫が登場します。死んだ主人、実際にはその時はまだ存命していましたがその死体の上に乗っかってまで付いてくるんですね。
それを見て、宅の飼い猫も自分が死んだらこうして付いてきてくれるのだろうか、なんて、自分の中では深い意味もなく見たままストレート、ただの疑問に近い冗談だったもの。
しかし聞いていた人が、お前やな事言うのな、なんて少し怒った声色でそれに答え。自分にしてみれば、このシーンを見て当たり前に出る反応だと思うのですが。ブラックジョークかもしれない。
なんだろう、一般的に解釈するならばそこで怒る意味も普通は憚るというのも判るけれど、この場において、この空間にいた人物相関図において、その発言は異色なんじゃないかと。性格上その台詞も出るだろうとかお互いの概念さえも通用しない、それは一体、なんだったんだろう。
心配だとか、不吉だとか、架空であれ自らや誰それの死を口にするのは、身近の人物でそれを行なうのが常識外だとしても、その後のその台詞の方が、余程自分にとっては、想定外の。


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