
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2006年09月12日(火) ■ |
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| 嗅ぎ分けて進め。 |
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曜日感覚が無いと言うよりは、何曜日になったと言う実感が湧かなかったりします。 しかしそれは依然として気が向いたならば昼でも夜でも眠る体質だからこそ、 寝て起きたら朝、と言う限定が無くなって、と考えれば当然のような。 しかし今は割合夜寝ています。昼間寝ていても何某かで起こされるので 深い眠りにならないか、だったら起きてよう、なんて思ったり。 兄上様は現在夏休み中ですがそれでも部活動の試合などで時間に縛られている。 そんな事を指摘したら、お前はどうなんだとまるで逆ギレのように問われ。 生活費を得る為のバイトに生活の照準を合わせるのは極当たり前の事だと、 返せば今度は、学校はそうは行かなかったくせにと八つ当たり気味に言及される。 彼はまるで無関心のようで、けれど一番気にしている。私が学校に通わなかった事を。 それなりに負い目でもあるつもりなのかもしれない。或いはそうなりたかっただけなのかもしれない。 優柔不断な気質は親から受け継ぎ、それなりに純粋な面も持ち合わせている。 彼のようになりたいと思った事はないけれど、時に彼のような素直な思いも、 若しこの身にあったのならば、世界はどう映っていたのかと不思議に考える事くらいなら。 最近特に身に染みて感じたのは、それが自らにとって利益のある事ではないのに、 縛られなくちゃいけない、理不尽と受け取ってしまう束縛がほとほと駄目なのだと。 趣味と言うものならば満たした欲なりで還元されるだろう。バイトだってそれで金銭を得るのだ。 しかし学校は違う。此方から金を払っておきながら雁字搦めにされていく。 義務教育、そうつまりこの国に生まれついたからの義務なのだと、彼は言いたいのだろう。 この辺りも父君様によく似ている。あの人も又、こうと決められていた事には従うタイプだ。 それでもこれこれこういう理由でいやなのだと正確に述べる事が出来れば、 或いは自分と話し合いをすると平行線で一向に終わりが見えないのでいやなだけかもしれませんが、 納得はしてくれる。母君様に到っては、見当違いのところで慌てふためいているだけ。 きょうだいというものは、親よりも長く、そして身近にいる存在。秘密も弱みも互いに握っている。 情と言う点から見ても、何処かでは親よりも近しく、けれど一番相反したくもなる。 ふとやりたいと思うスポーツは、プールで思う存分泳ぎ回る事や小学校でやるようなバスケ。 泳ぎ続けなければいけないレーンはいやで、小学校のバスケと言うのは、 トラベリングぐらいしか規制のない。ボールを取るか取られるか、入れるか入れないかくらいのシンプル。 ちゃんとした競技としてやれと言うならば、喜んでボールを手放すだろう。 趣味としてバスケットを愛しているならルールも守りたいと思うのかもしれないけれど、 体を動かしたいと言う望みでしか無いから、好きなようにやっていたいんだ。 それも又駄々だと突っ撥ねられれば、じゃあいいやと諦めてしまうくらいの、そんなもの。 これはまた、学校と言う空間が自分に合わなかった点と符合するのだと最近気付く。 先ず、学校に行く。決められた教科を決められた時間、決められた教員が教える。決められたクラスで。 合間の休み時間にはぼぅっとしていればハブられると言う裏返しがあり、 興味もなければ趣味でも無いから身にも付かない浮ついた話を誰彼がしていて、 頭の悪いと頭ごなしに言うのは気が好かないけれど、ニュースを持ち出したって誰も見向きもしない。 話が合わないという単純な事。そして、ネタの一つにもなりはしない有り触れた事しか話さない。 そして又決められた授業が始まって、朝早起きして作らないといけない弁当を食べて、 合間の休みよりもっと持て余してしまう長い時間を与えられては、する事もないこの無駄はどうして。 その分を家で家事に使いたい。掃除炊事洗濯その他色々な事が出来るのに。 教員の教える事が教科書を読んでいるという事なら、自分で読んで自習していたい。 覚え方としては上手くないかもしれないけれど、時間の有効活用を求めるならその方が断然いい。 話題についてかなければならないとくだらない芸能ニュースを見るより、かちこちの事故情報のがいい。 笑顔を貼り付けて興味のない人といなければならないのなら、一人で小説でも絵でもかいていたい。 ただの自分勝手かもしれない。協調性のない、わがままでしかないとも判る。 しかし、しなければならない事としたい事の時間を使って、したくもない事しても意味のない事、 何処でしていても同じ事を、している事の意味が自分で見つけられないのだ。 だったらただのはぐれといわれてもいい加減だと見做されても構わないから、 自分が納得出来る事をするもんだと、自らが生きた経験で掴んだ。 それでも生きていけるのならば、いいじゃないのかと納得している自分がいるのだから、 全く問題はない訳だけれど、この理由もまた彼にしてみれば不可思議なものだろう。 勿論今の職場でだってそれなりに話したり愛想を持って望まなければならないけれど、 気の向かない話題を気にしたりしなくても、今日の天気くらいで何とかなる。 相手の姿勢に合わせる事もまた、学んだ事。決して、学校で教わった事ではなく。 こんな事を言うとそう言っている奴が一番ガキっぽいんだと釘刺されかねませんが、 それでも同学年の人よりも、一回り二回り年上の人達の方が話が合う。 頭の回転も速いし、差し障りのない事を求める。深い介入を望むに対して、年季がある。 結局、制度に納得出来なければ内容にも満足出来ないのだから、その状態でじっと蹲っても、 ただただ無駄に浪費した時間を思うばかりで今よりも尚更根暗になっていく。 八つ当たりをするかもしれない、不和を引き起こすかもしれない、そうでなくともなんでこんなとこ、と 何処か見下しが含まれていない訳ではないのに。所詮そんな風にしか、出来ていないんだ。 それでもふと、勉強をしたいと思う時がある。自分の興味がある事について。 まだそれ程強い欲求ではないけれど、金を払って、自ら飛び込んでいく、 その意思の上でなら、窮屈な制度も、行く為の道則も、歩いていける自信はある。 そうだと知っていて、それでも納得して、やろうと決めた事なら、やれるんだ。 過程でその思いすら打ち砕く出来事があるというのなら、いい人生経験に置き換えられる。 とどのつまり結局おれがいやなんだからいーの! って自分勝手なまんまですがねこれ。
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