
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2006年07月31日(月) ■ |
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| そっと傍でだけ花を咲かせ。 |
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あまりいい性格とは元々言えなかったですが、そもそもいい性格が現すところが 何であるかも人によって曖昧ですが、最近又新たな発見をしてしまったので 反省するべきとするならば、と言う念を込めて。矢張り考えを纏めるには文章にするのが 一番都合が良いようです自分。そんなんに付き合わされたらたまらないよと言う方はゴーバック。
大まかにすると気付いた点というのは二つ程あったりするのですが、まず一つ目。 多分自分は人に好かれないと、その人の事を好きにならないのだと思う。 その一言が既に大問題ですが(笑)、しかし実際そういう面は否めない。少なからず、誰でも? 果たして人に好かれ易い性格や態度だとは思っていないので、つまりこの前提は そうそう俺様は人様を好きにならないぞ、と振り撒いているようでもあるのですが。 好きになられるとは思わない、けれど自意識過剰ならば要素ぐらい感じ取れる。 この場合は殆ど妄想あったりしますが、生物がすきでないですから、好かれるとも思っていない。 しかしそんな自分にほんのちょっとでも優しくする存在があったなら、 それが一般的な常識で計って当たり前な、或いは道徳的な行為であったとしても そんなものを自分にまで適用するこの人は一体どれだけ優しいのだろう、 少なくとも嫌悪よりは好意に近いところにあるのではないか、と飛躍させる事によって 始めて好きの観点で興味を懐きます。きらいの要素なら溢れる程に頻繁に。 田舎っ子がシティ派の男子属性ホストにちょっとちやほやされるとずるずるはまってしまう そんな可能性を含んでいると言えなくもないですが、そういう目に見え易いものは多分駄目です。 あまりに些細で、普段気にも止めないような、誰もそれを覚えてはいないような、 それぐらいの事に自分が気付いた時、ふと引っ掛かった時、それについての意味を考えた時、 それが概ね好意的である時、その瞬間やっと初めて、自分もそういう態度を取ろうと考えます。 されたくない事はしないタイプですがかと言ってされて嬉しい事を人にする訳でも無いので、 自分もその行動を取るかと言ったら又違いますが、少なくともそんな瞬間があった時、 気付かれなくても、どうでもいい事でも、ほぼ自己満足で、同じくらいの規模を実行出来たら。 この辺は貸し借りの観点に近いものがあるかも知れない。貰いっ放し、受け取りっ放し、 例え勝手にそういった解釈をしている愚か者だったとしても、返さないといけない。 そうでなければいつ、それをネタにあの時こうしてやっただろう、なんて押し付けがましい要求を されないとも限らないとかこれもまた大発展した妄想ではあるのですが。余分に貰うだけではいけない。 片付けるのが苦手な人の一つには、物を捨てられないという理由が結構大きかったりするそうですが、 自分も割と物は捨てませんがいつか危害を及ぼすのならば相応に捨てるのだろう。 過剰にはなりたくない。とても返しきれない恩を貰う事があったとしたら、それはどうしようか(笑)。 弱みを持ちたくない。付け込まれる隙を作りたくない。そんなネガティブ発想ではありますが 先程のポイントのみを見つめるとなんだよお前は何様なんだと言いたくなる端的さです(笑)。
さてもう一つ。これも人付き合いについて。そう言う点が幾つもあるから、人間関係構築が苦手なんだ。 仕事以外の、プライベートや趣味で人と接する機会がある時、例えクラスメイトだって初対面に近い 情報の認識度ではありますが、そういったものに対して、きらわれようと努力する。 はい。これもまたおかしな事を言っています。或いは狙い過ぎてて笑えません(笑)。笑ってるよ早速。 大方は、好きになって貰おう、というのが厭味に聞こえるのであれば、少なくとも嫌われるよりは 好かれる方が誰だってましです。基本的には。だから、そうなって貰おうとする。 付き合いが長くなった友達同士と言うのはざっくばらんな面も見せるでしょうが、 そういうのになろうとかなりたいとか希望を懐いていても、余程自然体や変わり者でなければ そのままの自分を、ありのままを、有体を、最初から見せるというのはかなり難しい行為です。 仲良くしたいと思う程、何処かで良く見せたかったり、見栄を張ったり、気を遣ってみたり。 そういう行動が根っから苦手というのも確かですが、そしてこれを建前にしてしまえば それらの行為を行なわなくとも自分の中では理由付けが出来るから、とすれば逃げの一手ですが。 好かれたいとは思わない。上記と矛盾しているようですが、そうなのか、と思う点があったら仕方無く、 自ら努力してまでそう思われたくないんです。と言うかぶっちゃけ思われたくないんです。 自分は自分を認めているけどすきな訳ではない。一部はあっても、全部だなんてとても。 全てが受け入れられないと言うのであれば、少なくとも本人の認識ですらそうなら、 それはやっぱり100%自分の存在を認め、許している事にはならないのだろう。 その自分で認めきれない何%の部分を他の誰かに補って欲しくない。気付いて欲しくない。 100%になるのが怖いのか、届きそうに無いから怖気づいているのか、それとも。 すきになる、という事はきらいになる、と言う要素も含んでいて、始めからどうでもいい存在で あれたならば終始そうであるし、すきになる暇もないままきらいになられたって、 そういう面しか、そういう目でしか、この人は私を見れないんだと曲解出来ますが、 一度は自分なんかを好きになってくれた人がいて、そしてその評価が下がるのが怖いといったら なんか又ちょっとおかしな感じになりますが、一部を認めてくれた人が、一時は認めてくれた人が、 否定側に回る事が怖い。始めから回った人よりも、そんなのよりも全然、遥かに。 その評価を、真摯に受け止めねばならないから。だってこんな奴を、自分でも認めきれない奴を、 自分と同じようにほんのちょっとでも認めてくれる人がいる。それは対等に近い立場。 人の目無くして人が存在出来ないなら、一応その中にいる自分も人間だけれど、 だけどまだちっとも人間の条件に満たない自分を、その存在を、気付いてくれた。 知らなければ忘れる事もないのに、一瞬でも気付いたならば、忘れる事も、きらう事も可能で。 だからいやなんだといったらなんと逃げ腰で弱腰で及び腰でつまり情けなくて。 それだけが理由ならばちょっと可愛い人間味のある感じもしますが。あくまで一つの理由です。 人にすかれたくないから、きらわれるような行動を取る。だけどそれでもすかれてしまったら、 或いはそうじゃないかと自分が勝手に思うところがあったら、そんな自分を気付いてくれた人に対しての 最低限の礼儀として、自分もその人の事を同じくらいにはすきにならないといけないんじゃないかと。 そしてそれがいやだ。観察するだけならば人は好き。だけど関わるのはどの生物でもいやだ。 だからきらわれるような努力、はしてませんがそういう方向に傾くように、する。 はい、一つの循環の出来上がり。なんて病んでるんだろうなぁ。繊細さが漂ってきますよ(笑)。 また、自分を好きになってくれた、かも知れない人をどうしても好きになれなかったどうしよう。 他の対価なんて知らない。用意出来るとも思わないし、出来ればあまりしたくない。 そして少しでもそう思った人が、時の変動の中で、自分の事をきらいになったらどうしようかと。 それともはなから間違いだったと気付くでもいい。すきになろうとした、努力はどうすればいい。 無駄な事はしたくないのも事実です。傷付くかといったら、そんな深いところまでは恐らくいかない。 そんなちっぽけな要素一つで振り回されるなんて御免だ。況して勘違いなんて情けないじゃないか。 初めから好きになんてなってはいなかったのかもしれないのに、そう思う分、嫌い、或いは どうでもいいのだと気付いたら、少しは寂しくなるのだろうと思う。そして考えて、自分も終わる。 自己完結といえばそれまでの整理をつけて、無かった事にはならないものだから消去も出来ずに、 ただ、これで自分がその人を好きになる理由はもうないのだと、無理矢理でも自然にでも その人に関して余計な行動をしなくて済む。でもきっと、やっぱり寂しい。心の、何処かで。 という事でくれぐれも、初対面の方は自分の態度の悪さに御怒り下さいませんよう。 まるで逆転してます。きらわれるようにしている事に対して、事前に知っておけ、 相手に無責任に大人になれ、だなんて。すいません冗談です。何処までか(え)。 苦手だ、生きる事。関わらなければ生きている事にならないのだとしても、だったら自分は、出来れば。
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