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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2006年05月23日(火)
さよなら、飛行機雲よ。


簡単に人を傷つける言葉を常々発し続けていれば、本当にそう思った時も軽口に思え又
誰かに言われた時も己のと同じ軽口なのだとセーブが出来るから、そうしているんだろうか。
容易く口に出来てしまう言葉に敢て罵倒を加える気分は、慣れてしまえば忘れてしまうけれど
初めてそうした時、どうだったのだろう。云われた時、どう思ったのだろう。もう、理解りはしない事。

自分がされていやな事をしない、それは因果応報が怖いから。
その延長線上で捕らえてしまって、自分のされたい事も相手はされたいだろうと思うのは、
きっともう思い込みの範疇。人は勘違いが出来るからこそ、理解と言う勘違いも行なえるのに。
同じものがいやな人はいるだろう。けれど、それを喜ばしい事だと、感じる人だって又いる。
かといって総ての誰の好みを把握するなんて難しいから、一つの境界線として、
その考え方はありだと思うんです。そうで無いと知ったなら、知ったその時から認識すればいい。
そうかもしれないなんて予想で縛られていては、結局やがて、何も出来なくなってしまうだけだから。
同じ事を好きな人だって矢張りいて、そしていやな人もまた、数多くいるのだと。
それだってまた、考え始めれば面倒くさい事この上なく、どうしようもない事ではあるけれど。
しない、という定義よりも幾許か、する、行なうという事に押し付けがましさを感じるのは。
ただただ自分がひたすらに天邪鬼なのだと言われればそれだけなのかもしれないけれど、
邪気の無い意思を、感じる分、難しい事なのだと。しない、という事も己の意思の元。
けれどこの定義の元でする、という事は、それが良かれと思ってやっている事なのであり、
それを感じたらいやだと思った人はいやだと言い辛くなるだろうし、全くそんな事は気付かずに
例えいやだといわれたら、勝手にした事なのに、きっと勝手に傷付くのは、此方だけ。
善意であろうと、無意識にであろうと、悪い事をしてやろう、という意思で無い以上、
あまりいい結果があるとは思えず。それとも、そんな意思ではないのにも、拘わらず?
やたらと何かをするな、何て言いたい訳でも無いのだけれど。そんなそれこそ押し付けがましい。
いやな事をしないのも善意ならば、されたい事もしない事さえ、あるいは善意の内なのかもしれないと。
別に自分が物臭で何もしたく無いが為この理由に託けたい訳では無くてですね(笑)。
難しい。というよりは面倒臭い。と感じる、その辺りはきっと物臭なのだろうけれど。
そして矢鱈、無いという字が多い気がする。難しいと悪いも多い気がします。見た感じ。重苦しいな!


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